何度も石牟礼さんを振り向いた美智子さま
天皇家と水俣とは、深い因縁がある。皇太子妃雅子さまの祖父は、興銀を経て1964年から71年まで、チッソの社長だった。患者や支援者たちが押し掛け、大荒れになった70年のチッソ株主総会の映像には、議長席に座る姿が映っている。この祖父の経歴が、ご結婚に至る過程で問題視された時期もあった。皇太子さまは93年の婚約発表の記者会見で、雅子さまとの話がいったん途絶えた理由として、「チッソの問題もありまして、宮内庁の方でも慎重論が出て・・・」と明かしていた。
こうした事情も熟知したうえで両陛下は水俣に向かったと思われる。公式スケジュールでは「水俣病資料館」の訪問が公表されており、そこで予定通り「語り部の会」の会長から水俣病の経緯と悲惨さを聞いた。そのあと天皇陛下は「本当にお気持ち、察するに余りあると思います」と、異例ともいえる長い感想を語った。居合わせた職員らもびっくりして聞き入ったという。この少し前に、実は両陛下は、「胎児性患者」と極秘の面会をすませていた。夕方になって、その事実が宮内庁から公表された。
石牟礼さんは、この面会には立ち会えなかった。せめてお見送りだけでもしたいと、帰京する両陛下を熊本空港の通路で待った。「美智子さまは石牟礼さんの姿を見つけて一瞬歩み寄ろうとしたが、警備の関係から近寄ることができず、何度も振り向いてお辞儀をしながら、階段を上がっていかれた」(熊本日日新聞、10月29日)
ほどなく、若い侍従が車椅子の石牟礼さんのところに近づいてきた。皇后さまからの御伝言がございますという。誰もいないところに移動してほしいと言われ、空港ロビーの奥まったとこに退くと、こう告げられた。「お見送りに来ていただいてありがとう。そして、これからも体に気をつけてお過ごしください」(『ふたり――皇后美智子と石牟礼道子』より)。
石牟礼さんは、この美智子さまとの触れ合いに象徴されるように、水俣の鎮魂を通して多くの人と心を通じ合った。高山氏は同書のあとがきで記す。「タイトルの『ふたり』というのは、何も美智子皇后と石牟礼道子の二人に限定されるものではない。それは本作を読めば、お分かりいただけることと思う」。