謙遜の意味で「エアプ」使う人も
たとえば、この冬各地で相次ぐ大雪だ。ツイッターなどでは、「雪をなめた」言動をした人物やメディアなどに対し、次々とこんな批判が飛んだ。
「雪をなめてはいけない...雪国エアプはこれだから...」
「雪かきで車道に雪撒いてるやつなんなんだ?雪かきエアプか?」
「新潟の列車立ち往生したやつ、報道が雪国エアプ過ぎてくっそイラつくんだけど」
「雪国エアプ多スギィ!! スタッドレス履けよ」
地方に住んだことがなければ「田舎エアプ」、恋人がいなければ「恋愛エアプ」、ほかにも「社畜エアプ」「受験エアプ」「入院エアプ」「相撲エアプ」、果ては「人生エアプ」――例は枚挙にいとまがない。一方でエアプ呼ばわりする側も、「自分の方が知識がある」というアピールや、「当事者以外は黙っていろ」という排他的なニュアンスで使うことも少なくなく、この言葉が飛び交いだすと、議論は得てして不毛になる。
一方で、最近ではちょっと違う用法も見られる。「専門じゃなくてエアプだから間違ってたらごめんね」「半分エアプなんですが...」「エアプだったらごめんなさい」――このあたりになってくると、本当の「エアプ」ではなく、一種の謙遜表現だ。
2017年にはニュースサイト「ガジェット通信」による「ネット流行語大賞」の候補にもノミネートされた「エアプ」、この勢いが続けば、18年は本家にも?