コインチェック社の580億円流出騒ぎで大きな話題になった。筆者もテレビなどで解説を求められるが、テレビ局スタッフや芸能人でも、「仮想通貨」に大きな資金を出していた人も少なくなく、意外と広範な人々が関わっているのに驚く。
筆者が、「仮想通貨」の取引には関わっていないが、いわゆる「採掘」では古くからのファンである。ビットコインの原論文を読み、その構造の美しさに感動し、「採掘」プロジェクトに関わったこともある。その後、オタク系の集会に呼ばれて話をしたこともあり、4年前の2014年、2.5万人が2.6兆円の被害にあったマウントゴックス事件でも、債権者のための活動をしたことがある。
単に「投機」の場に
「仮想通貨」の土台になっているブロックチェーン技術はすばらしい。ブロックチェーンをあえて例えれば、すべての人の手形の裏書きをシステム上で行っているようなもので、ブロックチェーン(分散型台帳)をみれば、資金トレースが理屈上はできるし、その事務コストは低く、他のサービス(例えば役所の各種台帳の記録・保持)に活用すれば、「仮想通貨」でなくても、十分に社会的な価値があるだろう。
しかし、今の「仮想通貨」は、当初、その周囲にいた「オタク系」の熱い思いとは別に、単なる投機手段になりさがっている。
最近、伝統的な先物市場での取引が激減して、その反面、FXと「仮想通貨」が賑わっている。FXも「仮想通貨」も単純なので、伝統的な先物より参入障壁が低い。その結果、ブロックチェーン技術は、そうした素人を呼び込むための道具になりさがって、単に「投機」の場になっている。そこでは、単純に「いくら儲かる」という話だけだ。
そもそも「仮想通貨」というネーミングも適当ではない。資金決済法では、「通貨」ではなく「財産的価値」とされているが、単なる「電子データ」である。その「価値」もそれを信じる人で決まるものだ。