「再び大政翼賛会のようにならないように」
「政治家としての野中さんは多面性を持っていた。激しい闘争を勝ち抜き、『影の総理』とまで言われた権力者の顔。苦しみや痛みを抱えた者への配慮を忘れぬ優しき顔。そして軍隊体験に根ざしたハト派としての顔...」(朝日新聞、2016年4月10日)
権謀術数に長けた老獪な政治家で、自民党の重鎮だったにもかかわらず、時折、何かに突き動かせられたかのようなイレギュラーな動きを見せることがあった。
1997年、沖縄米軍用地特別措置法改正法案が圧倒的多数の賛成で通ったときは、衆院特別委員会委員長の立場だったにも関わらず、「今回の審議がどうぞ再び大政翼賛会のようにならないように」と発言、物議をかもし、議事録から削除された。
2001年の9.11テロ事件を受けて、小泉内閣で自衛隊の海外派遣を認めるテロ対策特別措置法案が採決されたときは、直前に議場を出た。国家の運命を決めかねない重要法案だから、記名採決にすべきだと主張したが、容れられず、棄権することで、起立採決になったことに抗議の意思を示した。
引退後はさらに、大胆な言動が目立つようになる。09年には共産党の機関紙「赤旗」のインタビューに応じて平和について語り、話題になった。17年4月の朝日新聞のインタビューでは、「一番まずかったのは集団的自衛権の行使を認める安保法制をつくり、戦争をできる国にしたこと」「『憲法9条だけは守ってほしい』と言い続けるのは戦争体験があるから」と語っていた。