京都の経験、国政で生かす
剛腕、コワモテの政治家として知られた。1991年、「NHKのドン」言われたシマゲジこと島桂次・NHK会長の首切り騒動で頭角を現す。島氏は大物会長として君臨していたが、態度が横柄ということで霞が関・永田町界隈では反発する向きも多かった。野中さんは、島会長の国会答弁にウソがあることを聞きつけて揺さぶり、辞任に追い込んだ。
「野中は『シマゲジの首をとった男』として一躍脚光を浴び、郵政省やNHKに影響力を持つ族議員としての地位を確立した」(魚住昭著『野中広務 差別と権力』、講談社)。
保守系議員に多い典型的な叩き上げ。その中でも、「京都出身」ということで他の地方出身の自民党議員とは一味違う逞しさがあった。
野中さんが町長や府議のころ、京都では、革新系の蜷川虎三知事が絶対的な権力を誇っていた。1950年から78年まで実に7期連続当選。野中さんは、ときに蜷川府政と手を組み、ときに対峙しながら政治家としての力と技を蓄えた。そして78年、府政を奪還したあとは副知事になり、行政手腕を磨いた。
90年代に自民が野党に転落した時、「皮肉にも私のその(京都での)経験が国政の場で生きることになった」(自著『老兵は死なず』文藝春秋、2003年)と振り返っている。
しかも与党に復帰するために「社会党首相を担ぐ」という離れ技を使う――その老獪さと凄腕ぶりで大物政治家としての評価が高まった。