京都大iPS細胞研究所(CiRA)で、助教による研究論文捏造があった。その件で、ノーベル賞受賞者の山中伸弥所長の責任を追及する向きもある。
研究員個人の論文捏造は言語道断であってはならないことだが、組織としてのCiRAは定期的に実験ノート提出を研究員にさせており、情報通報後の対応もしっかりしていた。個人と組織へのそれぞれへの責任追及にきちんと峻別すべきであり、高校野球のような連帯責任論に陥らないようにすべきだ。
研究費不足や研究員の地位の不安定性
もっとも、いろいろと背景を探ってみると、研究費不足や研究員の地位の不安定性などが背後にあるのかもしれない、という印象である。
筆者は理系出身であり、財務官僚としては極めて珍しい経歴である。実際に、理系研究所などを予算で認めるときに、意見も聞かれたことも少なくない。
研究者になるつもりであったので、基礎研究がいかに困難であるか、ということも知っている。一般論としていえば、基礎研究が「当たる」確率は、いわゆる「千に三つ」である。多くのは、トライするが上手くいかないものだ。しかし、「三つ」を当てるためには「千」のトライが必要なのも事実である。
いってみれば基礎研究は、きわめて「打率の低い投資」であるが社会的にはやらなければいけないものだ。「三つ」の社会的な便益は極めて大きく、997の失敗のデメリットを補って余りあるからだ。
そうした観点から、国の研究開発の費用は、投資案件の資金調達と同じく「国債」によるべきと主張してきた。まったく同じロジックが教育費にも適用できるので、教育国債という形で言うことも多い。
実は、この考え方は、もともと財務省にあったものだ。財務官僚が書いた財政法のコンメンタール『予算と財政法』にも書かれている。