「闘将」星野仙一さん死去、70歳 田中将大「信じられない」悲しみにくれる球界

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   現役時代にプロ野球・中日ドラゴンズのエースとして活躍し、監督として東北楽天ゴールデンイーグルスを日本一に導いた星野仙一さんが2018年1月4日に死去した。70歳だった。楽天が球団公式サイトで6日に発表した。

   闘志をむき出しにして打者に投げ込むプレースタイルから、「燃える男」、監督時代は「闘将」と呼ばれた。日本のプロ野球をけん引してきた男がまたひとり、旅立った。

  • 2017年に野球殿堂入りした際の記者会見(野球殿堂博物館のウェブサイトの動画より)
    2017年に野球殿堂入りした際の記者会見(野球殿堂博物館のウェブサイトの動画より)
  • 1月6日のイベントの席で、星野さんの思い出を語った東北楽天・菅原秀投手(写真中央)
    1月6日のイベントの席で、星野さんの思い出を語った東北楽天・菅原秀投手(写真中央)
  • 2017年に野球殿堂入りした際の記者会見(野球殿堂博物館のウェブサイトの動画より)
  • 1月6日のイベントの席で、星野さんの思い出を語った東北楽天・菅原秀投手(写真中央)

監督として4度のリーグ優勝、2013年に初の日本一

   球団発表によると、星野さんは2016年7月に急性すい炎を発症したのをきっかけに、すい臓がんが判明した。昨年11月に野球殿堂入りを果たし、祝賀会では元気な姿を見せていたが翌12月に病状が悪化。「最期は昼寝でもしているような安らかな表情でご家族に看取られて旅立たれました」という。

   1968年、明治大学からドラフト1位で中日に入団。当時「常勝軍団」だった読売ジャイアンツに対して「打倒巨人」を掲げ、真っ向から立ち向かう投球スタイルだった。74年には巨人の「V10」を阻止してリーグ優勝に貢献し、自らも沢村賞を受賞。82年に現役引退するまで、通算146勝を挙げた。87年に中日の監督に就任すると、翌88年にリーグ優勝。91年に一度退くが、96年から再度中日の監督を務め99年に2度目のセ・リーグ制覇を達成した。2001年のシーズン終了後、当時不振にあえいでいた阪神タイガースの監督就任を発表し、世間を驚かせた。「勝ちたいんや」と強く勝利にこだわるスタイルで、03年にはリーグ優勝を果たした。

   08年の北京五輪では日本代表監督として4位。2011年、3球団目となる楽天に監督として招かれた。13年には田中将大投手(現ニューヨーク・ヤンキース)や則本昂大投手らの活躍でパ・リーグを制し、日本シリーズでも巨人を破って球団史上初、自身も初めて日本一の栄冠を手にした。14年シーズン後に楽天のユニホームを脱ぎ、球団の取締役副会長として活動していた。

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