「やはり僕は激しい憤りを覚えたよ」
乙武氏のこれまでのツイッターの内容によると、父が亡くなったのは01年5月。命日が近づくとふと思い出したように「来週の日曜日が命日。もう、13年。父には本当に感謝しています。いつもありがとう」(14年5月4日)とツイッターでも追慕している。
11年12月20日には、当時観劇した作品を振り返りながら「劇中、ふたりの息子のことを思い浮かべつつ、十年前に亡くなった父の姿も脳裏に浮かんだ。もし、父が生きていて、酒でも酌み交わせたらなあ。まあ、いくら考えても叶わない夢だから、もし実現したらどんな会話をするのかを想像しながら湯船にでも浸かろう」とつづっていた。
父の葬儀におけるメディアの振る舞いについては以前にも言及している。他のユーザーから「人生で一番ブチギレたこと」を尋ねられた11年5月29日、「父の葬儀のとき、喪服も喪章もないマスコミが大挙して押しかけ、勝手にバシャバシャと撮って、帰っていったことかな」と返答していた。
また、ツイッター上で報道に関する議論をしていた13年1月25日、乙武氏は「悲しみの底にいる人々に取材をする際の態度の問題もある」とし、
「僕の父が亡くなった際、喪服も喪章もつけずに敷地内に踏みこんできた彼らに、やはり僕は激しい憤りを覚えたよ。悲しい事件に連日触れているから、感覚が麻痺してしまうのだろうけど」
と煮え返る思いを書いていた。