2017年10月にデビュー45周年を迎えた歌手のさだまさしさん(65)が、11月30日放送の音楽番組「SONGS」(NHK総合)に出演した。「さだまさし~ああ、いわれなき炎上の45年~」と題した番組では、さださんが自身の「炎上」の歴史について語った。
番組ナレーションにも「炎上の振り幅が広い」と言われていたさださんだが、炎上覚悟で歌うその信念とは――。
「ちゃんと聴いてくれないんだよね。僕の歌長いから...」
フォークデュオ「グレープ」でのデビュー当初から、「精霊流し」(1974年)で「根暗」、「無縁坂」(1975年)で「マザコン」などと批判され、「いわれなき炎上」をしてきたさださん。
ソロ活動を始めてからもその傾向は変わらず、「雨やどり」(1977年)では「軟弱」と罵られ、自身最大の炎上ソング「関白宣言」(1979年)は「女性蔑視」だと糾弾された。そのタイトルと一部の歌詞が槍玉に挙げられて大炎上し、今もなおその火はくすぶり続けている。しかし実際は深い愛を歌ったもので、母親からも「これで関白ならあんたの人生たいしたことない」と鼻で笑われたという。
ほかにも、「親父の一番長い日」(1979年)は12分33秒という異例な演奏時間の長さから、「長すぎる」と業界関係者をも悩ませた。さださんは「歌に時間制限があるのはおかしい」とし、「初めから批判覚悟で作った」という。また、映画「二百三高地」の主題歌として作られた「防人の詩」(1980年)は、命の尊さを歌った反戦歌であるにもかかわらず、「戦争礼讃」だと批判された。
さださんは曲名や歌詞の一部が批判の対象となることに対し、「誤解っていうか、ちゃんと(最後まで)聴いてくれないんだよね。僕の歌長いから...」と嘆く。そして、今回「炎上」について語った理由を、
「ちゃんと志を持って何かを伝えようとするのであれば、批判されることを恐れてはいけないと僕は思っています。僕らが発言していかなきゃいけない、本当は音楽にはそれだけの力があったんですが。だんだんにね、そういうことも難しくなってきつつある環境のなかで。でも僕はやり方を変えないでやっていこうと思う」
と説明し、「決して炎上させたくて歌を作っているわけじゃない」と締めくくった。