読者もついつい朝日風の文章に?
もう一つ、よく「ちょっと待ってほしい」が多用されている場所がある。読者投稿欄だ。
「自動車会社の本社ビルも引っ越してきた。屋上をヘリポートにするという。だが、ちょっと待ってほしい。自ら渋滞の一因を作りながら、込むからヘリにするとは、これ以上の騒音と危険は勘弁してほしい」(1988年12月10日付朝刊)
「年末のボーナス商戦をにらみ、家電メーカーが、ハイビジョンテレビの新型を次々と発表している。(中略)五十万円を切る製品もある。しかし、ちょっと待ってほしい。画面サイズがどんどん小さくなっているのだ」(94年10月10日付朝刊)
「知事は、豊洲市場地下空間の改修を今年度中に完了させる方針を固めたとの話も聞こえてくる。ちょっと待ってほしい。市場関係者は全く納得していない」(2017年7月23日付朝刊)
日々読んでいると、読者の方もついつい「朝日らしい」言い回しになる、というのはうがちすぎだろうか。
やはりネットの噂は正しかった? そうとばかりはいえない。というのも、社説と並んで「ちょっと待ってほしい」が多用されている、とされる「天声人語」では、ほとんど用例が見られないのだ。確認できた範囲では、
「アメリカのいらだちはわかるが、でも、ちょっと待ってもらいたい。500億ドルという数字を、そのまま素直に信じていいのだろうか」(1986年2月6日)
など数本に過ぎなかった。この点については再考すべきだろう。