人ごみの中でふとすれ違った知り合いの顔を見つけ、声をかける――。単純な動作のようだが、誰かの顔を記憶し横顔や斜めから見た表情を推測して複数の異なる顔の中から当てはまる顔を認識する、という複雑な処理をこなす高度な能力だ。
社会性が高い人ならではの能力ともいえ、イヌやサルなども特定の顔を記憶することはできるが、さまざまな向きの写真から記憶した顔を選び出す能力はないとされている。
しかし、2017年11月8日にケンブリッジ大学が発表した研究結果によると、どうやら羊は人間と同じ能力を持っているようだ。
人間の成功率とほぼ同じ容貌認識能力
ユニークな研究に取り組んだのは、ケンブリッジ大学のフランツィスカ・ノール博士とリタ・ゴンサウヴェス博士、ジェニファー・モートン博士の3人だ。
3博士が羊の容貌認識能力を調査したのは、単なる興味や羊が好きだからというわけではない。
難病のひとつ、「ハンチントン病」などの症状として知られる、相手の表情が識別できず誰なのかわからなくなってしまう「相貌失認」がどのようなメカニズムで起きているのかを確認するためだ。
羊は家畜の中でも社会性が高く、複数の人の顔を記憶し、相手の立場や状況に応じて適切な振る舞いをすることが知られている。脳のサイズも比較的大きく寿命も長いことから、脳神経に関係した病気を検証するモデル動物としてよく利用されてきた。
そこでノール博士らは英ウェールズで家畜として飼育されているウェルシュ・マウンテン・シープという品種のメス羊8匹を訓練。俳優のジェイク・ギレンホール、女優のエマ・ワトソン、元米大統領バラク・オバマ、BBCキャスターのフィオナ・ブルース、4人の有名人の顔を記憶させた。
訓練ではケージの中にディスプレイが2つ設置されており、上記の有名人いずれか1人と全く関係のない無名の人の顔が表示される。有名人の顔が表示されたディスプレイ側に羊が移動するとエサが与えられる。間違った場合はブザーが鳴り、エサはもらえない。
有名人の顔を正面から表示した場合では10回のテスト中、平均8回成功。横顔や斜めを向いた顔では成功率が15%ほど低下したものの、これは人間とほぼ同様の数値だという。
かつてのハンドラーの顔も覚えていた
訓練でそう反応しているだけではないか、という疑念もあるかもしれないが、ノール博士らはその点を排除するために入念かつ興味深い追試も行っている。
それは、有名人の顔を表示せずかつて羊たちを飼育していたハンドラー(調教師)の顔と赤の他人の顔を表示するというものだ。モートン博士によると、羊たちは双方の顔を見比べ入念に確認し、自分たちが慣れ親しんでいたハンドラーの顔を選んでおり、有名人の顔を見せた場合よりも成功率も向上していた。
モートン博士は、次のように話している。
「ハンドラーの顔を見せるという訓練は行っておらず、研究施設に移動してから羊たちはハンドラーに会っていません。それでも自分たちにとって馴染のある相手の容貌を認識できているということは、羊が人に匹敵する能力を有している証拠です」
すでに博士らはハンチントン病を発症するように遺伝子操作した羊の訓練に入っており、相貌失認の解明に取り組み始めているという。