元赤軍派議長の塩見孝也さん死去 「武装闘争」「国際根拠地論」提唱

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   過激な活動で知られた共産主義者同盟赤軍派の議長だった塩見孝也さんが死去したことが2017年11月15日、わかった。時事通信や朝日新聞などが報じた。76歳だった。14日に都内の病院で亡くなったという。

  • 塩見孝也さん(画像はAmazonより。鹿砦社)
    塩見孝也さん(画像はAmazonより。鹿砦社)
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晩年は駐車場の管理人に

   京都大学在学中にブント(共産主義者同盟)の活動家になり、1969年、本格的な武装闘争を主張して共産主義者同盟赤軍派を結成、議長になった。同年11月に大菩薩峠での軍事訓練準備中に大量の逮捕者を出し、国内組織が大打撃を受けたことなどから、海外に拠点を設ける国際根拠地論を提唱。70年3月には同派のメンバーがよど号ハイジャック事件を起こした。また赤軍派の一部は中東に渡り、日本赤軍として「テルアビブ空港乱射事件」やハイジャックを繰り返した。赤軍派の別グループは京浜安保共闘と合体して連合赤軍をつくり、あさま山荘事件などを引き起こした。

   69年末から70年代にかけて、国内外を揺るがせた赤軍派がらみの事件に、組織と理論の両面のリーダーとして直接間接に関わった。

   自身はよど号事件の直前に警察に捕まり、20年近い獄中生活の後、89年に出所。その後はたびたび北朝鮮を訪れ、よど号メンバーと会ったりしていた。晩年は駐車場の管理人をしているということで話題になり、週刊誌に取り上げられたこともあった。

   『赤軍派始末記―元議長が語る40年』など闘争を回顧した著書を出している。

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