神奈川県座間市のアパートで発見された遺体9人の身元がすべて特定され、テレビや新聞が一斉に「顔写真付き」で報じ始めた。同時に、こうした報道にネット上では違和感が出ている。
被害者の多くは自殺志願者という言葉とともに伝えられてきた。遺体は解体された状態で見つかった。犯罪史上異例のセンシティブな事件という受け止めから、インターネット上では「この上更に晒し者にする意味あるわけ?」といった声が続出している。被害者の顔写真つき報道の現状について、J-CASTニュースは弁護士に見解を聞いた。
「家族にそっと教えてやるだけじゃあかんのか?」
警視庁は2017年11月10日未明、DNA型鑑定の結果、8人の身元を特定したと公表。6日に確認されていた女性1人を含め、被害者9人全員の身元が特定された。9人は15~26歳で未成年者が4人いた。
10日未明から各新聞・テレビでは被害者の名前や居住地、さらに顔写真を報道。全国紙の同日朝刊をみると、朝日は39面(社会面)に載せたが、読売・毎日・産経は1面にカラーで顔写真を掲載した。
被害者の多くはインターネット上で自殺をほのめかす投稿をしていたとされ、言葉巧みに白石隆浩容疑者に連れ込まれた。遺体はバラバラに解体され、頭部はクーラーボックスから発見された。アパートからはさらにいくつもの骨が発見されている。性的暴行をされた被害者もいたという。
過去にも犯罪被害者の顔写真つき報道には疑問が出ることがあった。その中でも座間の事件は特に、残虐性や被害者の置かれていた立場などに鑑み、顔写真を含めた報道に「そっとしといてやればいいのにな」といった声がネット掲示板やツイッターに書き込まれている。
「家族にそっと教えてやるだけじゃあかんのか?」
「被害者、しかもデリケートな訳あり被害者だから余計酷いわ」
「これが自殺したかった人達かと思われる訳だし今回顔出さないであげてほしかった」
「殺されてバラバラにされて首だけになってるって先に散々報道してんのに、この上更に晒し者にする意味あるわけ?」
タレントのフィフィさんは、最初に被害者1人の身元が特定された6日、ツイッターに
「座間の件で、特殊な動機で出会ったとか、職業などの情報が先に散々報道された上で、身元が判明したからって亡くなられた被害者の顔写真を公表する報じ方に違和感を持つ。それって報じる使命というより好奇心を刺激した効果を狙ってる様にしか思えない。ここでは報道する自由?プライバシーは守ろうよ」
と投稿していた。
「泣き寝入りになっているのが現状であるといえます」
報道におけるこうした犯罪被害者の顔写真利用について、法的な枠組みはないのだろうか。弁護士法人・響の西原和俊弁護士にJ-CASTニュースが見解を取材すると、
「現状、犯罪被害者の方の顔写真利用を規制する法律はありません。被害者が死亡しているか否か、被害者が成年者であるか未成年者であるかにかかわりなく法的規制がなされていない状態であるといえます」
との回答だった。
それでは、こうした顔写真の利用が法的な問題に発展するケースはないのか。西原弁護士は現状についてこう述べる。
「報道機関の有する報道の自由と犯罪被害者のプライバシー権、どちらが優先するかという点で法律問題に発展する可能性は有り得ます。しかし、現状では報道機関の自主規制に沿って報道されるのみで被害者の方や遺族から訴訟提起されるまでに発展することは多くありません。被害者の方が報道により傷つけられたとしても泣き寝入りになっているのが現状であるといえます」
「犯罪『被害者』の写真利用について、社会的意義を正面から認めた判例は...」
また、座間の事件のように、被害者が死亡している場合に問題になるのは、「厳密には当該被害者のプライバシー権ではありません。被害者ご本人はすでに亡くなってしまっているため、法律上はプライバシー権等の権利の主体になることができないからです」と西原弁護士は言う。その上で
「この場合に問題になるのは、被害者遺族の『敬愛追慕の情』が、報道により侵害されたといえるかということになりますが、泣き寝入りにならざるを得ない現状には変わりありません」
としている。
一方で、顔写真を含めた報道に何らかの社会的意義を認めた例はないか。この点は
「報道機関は表現の自由、報道の自由を有しており、それに社会的意義を認める判例は多くありますが、犯罪『被害者』の写真利用について、社会的意義を正面から認めた判例はあまり見当たりません」
と述べる。参考までに、爆発事故で死亡した被害者の顔写真を報道された遺族が、報道機関に損害賠償請求の訴訟を起こした津地裁判決(15年10月28日)を紹介した。判決では、「多数の死傷者を出し社会的関心の高かった本件事故の内容等を報道する過程で、被害者であるXの顔写真として、他の被害者と並べて本件遺影を報道したもので、本件遺影を報道することが不必要であるとか、不当な目的によるものであるということはできない」として、遺族の請求を否定した。