81歳で老衰のため死去した財界の大物、西室泰三氏。各メディアが東芝や東京証券取引所、日本郵政などのトップを歴任した華麗な経歴を紹介した。訃報のニュース(ネット版)が流れたのは、2017年10月18日夜から19日朝にかけて。その後の情報で、亡くなったのは14日だった。
西室氏は国際派として経営改革を進めたが、東芝の不正会計や日本郵政の豪物流会社買収に伴う減損損失など、経営の一線を退いた後にさまざまな問題が浮上、厳しい批判にもさらされた。
DVDの国際的な規格統一に携わる
西室氏は慶應義塾大経済学部卒業後、1961年に東京芝浦電気(現・東芝)に入社。主に半導体や海外営業部門を歩み、米国では真空管の売り込みから始まって駐在生活は十数年に及んだ。流ちょうな英語と巧みな交渉術を武器に、役員就任後は米タイム・ワーナーなどとの提携交渉にあたったほか、DVDの国際的な規格統一に携わった。
東大卒、重電部門が出世コースとされる東芝で頭角を現し、1996年に社長に就任。ATM(現金自動預け払い機)事業の売却やモーター事業の再編などを進めたほか、社内カンパニー制を導入するなど社内改革を進めた。
2000年に会長に就任。米サンディスクとの合弁工場を三重県四日市市に建設し、NAND型フラッシュメモリの生産・開発に経営資源を集中させて、後に大きな果実をもたらした。
2005年に会長を退いたが、東芝以外の活動は精力的にこなした。東証会長に就任し、旧ジェイコム株の誤発注問題の収拾にあたったほか、東証の上場準備も進めた。
2013年には日本郵政の社長に。オーストラリアの物流大手、トール・ホールディングス買収を主導し、同社の東証1部上場を実現。体調不良を理由に2016年、郵政社長を退任した。
財界や政治的な活動にも熱心だった。経団連副会長、評議員会議長を務めたほか、郵政民営化委員会委員長、戦後70年談話に関する有識者会議座長などを歴任した。
「院政」と評されるほどの影響力
華麗な経歴だが、負の側面もあった。一つは2015年の不正会計問題発覚に端を発する東芝の経営危機だ。西室氏は2003年、東芝の指名委員会委員長に就任。2005年、のちに不正に関わったとされる西田厚聰氏を社長に就任させた。経営の一線から身を引いた西室氏だったが、「院政」と評されるほど、東芝に強い影響力を残した。不正会計の遠因は、西室氏が築いた東芝の企業文化にある、との指摘もある。
もう一つは、日本郵政時代のトール買収だ。上場を控え成長戦略を示す必要があり、身の丈に合わないのに買収を急いだとされる。西室氏の存在が大きすぎるか故に、表だった批判はだれもできなかった。こちらは引退後、4000億円の減損損失を計上するはめになった。
西室氏が最期まで気がかりだったのは、古巣東芝の再生だっただろう。東芝は17年9月、経営再建へ向け半導体メモリ事業の売却先を決め、10月12日には、内部管理体制に問題がある「特設注意市場銘柄」の指定を解除された。経営正常化への道を着々と歩んでいることを示す節目ともいえる。それを確かめるかのように、永眠した。