「院政」と評されるほどの影響力
華麗な経歴だが、負の側面もあった。一つは2015年の不正会計問題発覚に端を発する東芝の経営危機だ。西室氏は2003年、東芝の指名委員会委員長に就任。2005年、のちに不正に関わったとされる西田厚聰氏を社長に就任させた。経営の一線から身を引いた西室氏だったが、「院政」と評されるほど、東芝に強い影響力を残した。不正会計の遠因は、西室氏が築いた東芝の企業文化にある、との指摘もある。
もう一つは、日本郵政時代のトール買収だ。上場を控え成長戦略を示す必要があり、身の丈に合わないのに買収を急いだとされる。西室氏の存在が大きすぎるか故に、表だった批判はだれもできなかった。こちらは引退後、4000億円の減損損失を計上するはめになった。
西室氏が最期まで気がかりだったのは、古巣東芝の再生だっただろう。東芝は17年9月、経営再建へ向け半導体メモリ事業の売却先を決め、10月12日には、内部管理体制に問題がある「特設注意市場銘柄」の指定を解除された。経営正常化への道を着々と歩んでいることを示す節目ともいえる。それを確かめるかのように、永眠した。