「村上春樹さん、文学賞ならず」(毎日)「春樹さん、いずれ必ず」(朝日)「ハルキスト今年も残念」(産経)「春樹ファンため息」(読売)――2016年10月14日、新聞各紙を飾った見出しの一部だ。
作家・村上春樹さんが、ノーベル文学賞の有力候補といわれるようになって以来、発表と同時に出る「また受賞逃す」のニュースが、すっかり恒例行事となっている。調べてみると、最初の報道があってからもう10年以上だ。こういうニュース、果たして必要なのだろうか。
ツイッターでは約9割が「いらない」
J-CASTニュースでは、文学賞発表当日の5日、ツイッター上で「『受賞』ならとにかく、『逃す』のニュースって、皆さん必要だと思いますか?」という簡易アンケートを実施した。
14時までに228票の投票があったが、うち88%が「いらない」。「いる」とした人は12%に過ぎなかった。リプライ欄には「毎年気の毒だ」との投稿もあったように、少なくともツイッター上では、「受賞逃す」報道に食傷気味という向きが強いようだ。
では、この「恒例行事」はいつから始まったのだろうか。
新聞報道などで、村上さんが文学賞の「候補」として名前が上がり始めたのは、2000年代の半ばごろからだ。2005年には、スウェーデンの新聞が行った「受賞者予想投票」企画で30位にランクインしたことが報じられている(毎日新聞、10月20日付夕刊)。
2006年に「フランツ・カフカ賞」を受賞したが、この賞はノーベル文学賞の「登竜門」とも呼ばれており、一気に村上さんへの注目度が内外で高まるようになった。この年は複数のスポーツ紙などが、
「村上春樹氏、ノーベル文学賞"落選"...トルコのパムク氏受賞」(サンケイスポーツ、10月13日付)
と報じている。確認できる限り、これが最も早い「受賞逃す」だ。
2012年以降「受賞逃す」が完全に定着
とはいえ、2000年代後半~10年代初頭は「受賞逃す」報道は散発的にみられる程度で、「恒例行事」とはなっていなかった。
定着したのは2012年ごろからだ。この年、英国のブックメーカーが村上さんを「一番人気」に推したことが影響したとみられ、以後は、
「ノーベル文学賞に莫言氏 中国人作家 村上春樹氏 受賞逃す」(産経、2012年10月12日付朝刊)
「文学賞にマンローさん ノーベル賞 村上春樹氏は逃す」(産経、13年10月11日付朝刊)
「ノーベル賞:ファンまたため息 村上さん、文学賞逃す」(毎日、14年10月10日付朝刊)
「ハルキストまた涙」(ニッカン、15年10月9日付)
「ディランさん文学賞 村上春樹さんの同級生らため息『いつか受賞を』」(読売、16年10月14日付朝刊)
といった具合だ。13年には産経新聞が電子版で「受賞」と号外を出す珍事も起こった。見出しにもあるように、「ハルキスト」と呼ばれるファンたちや、ゆかりの場所に集まった同級生などの落胆の声、「なぜ受賞できないのか」といった分析が定番メニューだ。ちなみにJ-CASTニュースも12年以降、16年まで「受賞逃す」を5年連続で伝えている。
なお、選考を行うスウェーデンアカデミーは、選考の過程について秘密主義を守っており、公表は50年後だ。村上さんが実際に「有力候補」なのかどうかは定かでない。