公示間近の衆院選で台風の目となるのか、と連日その言動に注目が集まる、小池百合子・東京都知事が代表を務める新党「希望の党」について、細川護煕・元首相が、「応仁の乱みたいにぐちゃぐちゃになってきた」(毎日新聞インタビュー)と評した。
この発言は、テレビやネットでも注目を集め、ツイッターには、応仁の乱の時代を生きた実力者、日野富子と小池知事を結びつける「つぶやき」も出ている。「応仁の乱。小池百合子は日野富子かな?」といった具合だ。
室町幕府8代将軍の正室
細川元首相は、小池知事が1992年の参議院選挙で国政初当選した際に所属していた日本新党を結党した人物だ。毎日新聞の2017年10月3日付朝刊(東京最終版)に載ったインタビューで、希望の党について、
「(安倍政権を倒す)倒幕が始まるのかと思っていたら、応仁の乱みたいにぐちゃぐちゃになってきた」
と指摘した。このインタビュー記事はネット版でも配信された。
翌4日放送のTBS系昼の情報番組「ひるおび!」でも、この毎日インタビュー記事を取り上げた。応仁の乱(1467~1477年)の概要や、応仁の乱と今回の政局との類似点などについて、政治学者の見解も交えてテロップまで作って紹介した。
ツイッターでも10月3日から4日にかけ、細川元首相インタビューを目にしたとみられる人から
「応仁の乱。小池百合子は日野富子かな?」
「(細川インタビュー記事を一部引用し)日野富子?」
といった声が寄せられた。
応仁の乱は、通説では戦国時代の始まりとも言われ、室町幕府の第8代将軍、足利義政の正室、日野富子が息子(のちの9代将軍、義尚)を将軍にしようとしたのが元凶との指摘もある(最近の研究では見直されつつある)。有力な守護大名らが東西両軍にわかれ、約11年にわたって京都を主戦場にして断続的に争いを続けた。最近では、2016年10月に刊行された『応仁の乱』(呉座勇一、中公新書)がヒットし、17年9月末現在で40万部を突破。硬派な歴史書としては異例中の異例とも言える程の売れ行きを見せ、注目を集めている。
「政治の実権を握る」「悪女」のイメージ
また日野富子については、(これも最近の研究では見直されつつあるが)その蓄財ぶりや政治・戦乱への私情を交えた介入から「悪女」とのイメージが強い。たとえば、2006年4月に産経新聞の大阪夕刊(19、20日)に掲載された歴史家との対談記事では、
「日本史上の悪女の代表のようにいわれますが、果たしてそうなのでしょうか...」
「あの日野富子が悪女でないと?」
といったやり取りもある。また、2011年6月2日の朝日新聞夕刊に載った歴史研究家による記事の中には、
「戦乱のさなか、富子はもくろみどおり、溺愛する義尚を9代将軍にすることに成功、9歳の新将軍を補佐する形で政治の実権を握った」
との指摘がある。
小池知事と日野富子のイメージをつなぐキーワードが、「政治の実権を握る」なのか「悪女」なのかは不明だが、ツイッターには、今回の細川元首相インタビューが報道される前から、両者を結び付ける書き込みは登場していた。
小池知事が9月25日に「希望の党」の立ち上げや、自身が代表に就くことなどを会見で公表した以降、ツイッターでは、
「小池百合子さんが、日野富子に見えるんですが」(27日)
「淀君や日野富子が本当に悪女だったかはさておき、場合によってはそのレベルで語り継がれるぞ小池百合子」(27日)
「なんか、小池百合子=日野富子で、応仁の乱の様相を呈してきた気がするんですけど...」(28日)
などの「つぶやき」が寄せられていた。今回の細川元首相インタビューでの「応仁の乱」発言を受け、小池知事を見て日野富子を連想する流れが加速する可能性もある。
もっとも、日野富子をめぐっては、悪いイメージばかりではない、2015年6月30日の大阪読売新聞の夕刊記事によると、「悪女」「守銭奴」などのイメージもあるが、私財を投じて内裏(天皇の御所)を復興し、「応仁の乱を最終的に終息させたのも富子だった」という働きを見せたという。