元雅山、待った成立は「行司や審判長が決めるもの」
ただ琴奨菊の手は地についていないようにも見えた。日馬富士はこれを見て取り直しを図った可能性がある。ツイッター上では「確かに琴奨菊の手つきが不十分だったかもしれないが日馬富士もそれを見て手を抜いたしまったのは良くなかった」(原文ママ)との指摘もあるが、立ち合い成立への疑問が噴出している。
「琴奨菊vs日馬富士、何かすっきりせんなあ」
「せめて物言い付けるなりして土俵上で説明したならまだしも微妙な空気のままシャンシャンってのは無いでしょ」
「よく見ると、日馬富士は手をついていたのに、琴奨菊は両手をつかずに立っている。行司が待ったをかけてもよかったのではないか」
さらには日馬富士がモンゴル出身横綱であることに絡め、「菊(編注:琴奨菊)は明らかに手をついてない。モンゴルいじめ」「モンゴル勢が変化すりゃ協会総出でバッシングするのに」との書き込みもみられる。
元関脇・隆乃若の尾崎勇気氏も13日未明、ツイッターで違和感を示した。
「もし琴奨菊が立ち合いで完全に両手をついていたならば、勝手に待ったと判断し、力を抜いた日馬富士の100%ミスになるが、もし日馬富士が『相手が手をついていないのが見えたので待ったをした』と判断した場合は日馬富士はルールを守ったのに負けにされたことになる」
一方、元大関・雅山の二子山親方は12日夜、日馬富士の「油断」を指摘するようにツイートした。
「日馬富士は不服そうでしたが、立ち合いの待ったは自分で決めるものではない。行司や審判長が決めるもの。だから決して力を抜いてはいけない。私はそう教えられてきた」
日本相撲協会の寄附行為施行細則附属規定の中にある勝負規定5条は「立合いは腰を割り両掌を下ろすを原則とし、制限時間後両掌を下ろした場合は『待った』を認めない」と定めている。それでも二子山氏の言葉を借りれば、最終的に待ったか否かは「行司か審判長が決めるもの」ということになる。