九州北部豪雨で、福岡県朝倉市は死傷者が35人に上り、4人がいまだ行方不明となっている(2017年9月13日現在、市発表)。住宅被害もひどく、中でも市東部の杷木(はき)では、全壊した家屋が市全体の214件中170件に上る。生活に欠かせない道路や橋は多くの箇所で崩落、損壊した。
豪雨から2か月が過ぎ、被災地の現状を伝える全国報道はめっきり減った。だが現地では今も行方不明者の捜索が続き、復旧活動はまだ終わってはいない。自宅の再建には時間がかかり、不便な避難所暮らしの人もいるのが現実だ。
避難所に暮らす夫婦が見せてくれた2枚の写真
被害が大きかった杷木松末(はきますえ)地区に記者が入ると、山側からの土石流や流木に押しつぶされた家々が見えてきた。住民やボランティアの尽力で、土砂や泥水のかき出し作業が進んでいるが、現状では住める状態にない住居が多い。築18年の一戸建てを破壊された男性は「こんなこと予想できなかった」と嘆く。家の土台にあった土がえぐられ、そこに何本もの流木が突き刺さったままの壮絶な姿となっていた。裏山を見ると、土砂になぎ倒されたのか横たわったままの木々が何本も見える。男性は現在、妻の実家で暮らす。この家に戻ってこられるかどうかは未定だと明かした。
杷木では、赤谷川ほか複数の河川が豪雨で氾濫し、被害拡大につながった。国土交通省によると、災害復旧事業は原形復旧、つまり「被災前の位置に原施設と形状・寸法及び材質の等しい施設により復旧する」が基本となる。このことを知る住民の中には、元に戻すだけでは、次に集中豪雨に襲われたら同じような災害を繰り返すのではないかと不安を口にする人もいた。
自宅が被災して住めない人は、家族や親類の元に身を寄せたり、入居が始まった仮設住宅や、行政が借り上げる「みなし仮設住宅」を利用したりするほか、いまだに避難所生活を送るケースもある。9月13日現在開設されている避難所は市内に4か所あるが、そのひとつ「朝倉市総合市民センター(ピーポート甘木)」を9月4日に記者が訪れた際、杷木松末から避難中の夫婦に会った。
「乙石や中村には行かれましたか」と問われ、行っていないと答えると残念そうだったが、資料を取り出して見せてくれた。乙石、中村、石詰の各集落は乙石川の氾濫で大規模な土砂災害に合い、夫妻の自宅も土石流にのみこまれたという。資料の中には2枚の航空写真があった。豪雨の前と後の夫妻の家の周りを写したものだ。元は田畑の緑と点在する家々で彩られた小さな集落だったが、ほとんどの家が流され、そのあとを土砂の無機質な灰色が覆っていた。
若者ボランティアが支援続ける
杷木小学校グラウンドにある木造の仮設住宅に足を運んだ。記者は東日本大震災や熊本地震の被災者向けに建てられたプレハブの仮設住宅も取材したが、それと比べると住環境はよさそうだ。息子と一緒に住んでいるという高齢の女性を訪ねると、家の中に招き入れてくれ、「仮設に入れてよかった」とホッとした表情を見せた。避難所で45日間を過ごした後、入居したという。避難所と違ってプライバシーが保てる。近所は同じ地区から避難してきた顔見知りが多い。
大水害に見舞われた朝倉市民は、穏やかな日常生活を取り戻すため今も懸命だ。被災した家々や農地では、若者を中心にボランティアが活動を続けている。記者が取材中に出会ったNPO法人「日本九援隊」には、北九州市や神戸市、大阪府から駆けつけてきた人々の顔があった。一方で、まだまだ十分な支援がいきわたっていない地域があるのも事実だ。夏休みが既に終わり、ボランティアの安定的な人数確保は今後課題になるだろう。
赤谷川と筑後川が合流する地点では9月3日、警察と消防、地元消防団合同による行方不明者の捜索が行われた。規模は縮小しているが、今も継続していることが「終わっていない災害」を物語る。放置されたままの山の崩落箇所は数え切れず、再び台風や豪雨に襲われたらどうなるのか、不安をかきたてられた。
水害は日本全国どこでも起こり得る。そして、その頻度は年々増している印象だ。決して人ごとではいられない。(おわり)