8年間使った携帯電話(ガラケー)が「お亡くなり」になった。処分しようとしたのだが、3000日近くにわたって四六時中持ち歩き、いろんな相手といろんな会話を、このガラケーを通じてしてきたわけで、愛着を超えた「何か」を感じるような気もする。
調べてみると、携帯電話を含むさまざまな「もの」を「供養」してくれる神社が、茨城県にあるという。「人形供養」ならよく聞くが、幅広いジャンルを、しかも全国から受け付けているところは珍しい。2017年秋、現代の「もの供養」事情を尋ねてみることにした。
日本人ならではの宗教観が背景に
「月に100件ほどの依頼が寄せられます。人形やぬいぐるみのほかで多いのは、パワーストーンや、亡くなった方の遺品などでしょうか」
J-CASTニュースの取材にそう語ったのは、結城諏訪神社(茨城県結城市)の山川誠人宮司だ。「勝負事の神様」としても知られ、最近では、県内出身の稀勢の里関が参拝に訪れたこともあるとか。
そんな神社が、「もの供養」を始めたのは「5~6年ほど前から」。元々、多くの神社と同じように「人形供養」を手掛けていたのだが、あるとき知人から、不要になったパワーストーンなどを無碍に捨てられず、困っている人が多い、という話を耳にした。そこで、広く「もの」の供養を受け付けることにすると、全国各地から依頼が舞い込むようになった。
「日本人は古くから、大きな木や岩など、自然に神様がいると考えてきました。そこから、『八百万の神』というように、ありとあらゆる物にも魂が宿るという宗教観が生まれたのです」
冒頭に挙げたガラケーの例のように、人それぞれ思い入れのある愛用品を、むやみに捨てることができない、というのは、こうした宗教観によるものだと山川宮司は解説する。