かつて中国市場で旋風を巻き起こした韓国車にとって、今のような風景は想像もつかなかっただろう。1年前から、現代・起亜グループの中国における2社の合弁会社――北京現代と東風悦達起亜は深刻な苦境に陥った。2017年上半期に、中国で、現代起亜自動車の総販売台数は43万台で、前年同期比46.7%の激減だった。そのうち、北京現代の販売台数の低下率は前年同期比の累計で42.4%に達し、東風悦達起亜も同55%の急降下だった。
現代と起亜の二つのブランドは韓国車の代表であり、この二つのブランドの衰退は中国市場における韓国車全体の競争力喪失を象徴している。
ニッチを狙った成功と限界
韓国車が中国市場で爆発的に売れた時期は2度あり、1度目は2010年から始まった。中国の消費者が日本車に対する反発を強めたことで、日本車の中国における10年余の輝ける時期が過ぎ去り、大きな空白が市場に現れた時だった。2度目は2012年に始まった、韓国車のデザインに変化が見られ、流線型のデザインが韓国車の象徴になった時期である。
この二つの時期のお陰で、韓国車には「トレンド」車というラベルが貼られ、少なからぬ若い消費者をとらえた。更にすばらしいコストパフォーマンスによって、市場シェア争いで、「価格を安くして、販売量を増やす」手法で、韓国車は圧倒的な優位に立った。
値段は日米欧の自動車より安く、中国自主ブランドの車より質が高い。このニッチを狙って韓国車は中国では大いに成功した。実は車だけでなく、韓国の化粧品、食品なども同じく中国で成功していた。
一方、韓国車のデメリットも非常に明らかで、ブランド力の限界にも直面した。例えば、北京現代「ソナタ9」は発売後、大きく値崩れし、高級セダン「ジェネシス」の販売台数はごくわずかで、輸入車の方もほとんど停滞に陥り、起亜のブランド力は現代と比べてさらに一段と弱い。
「長年の上昇機運の後、韓国車は販売量重視とブランド力軽視の反動が非常に深刻だった」と自動車評論家の趙英氏は語る。例えば、活況を呈していた北京現代は、販売量至上主義で、最終的にはブランド全体のイメージダウンにつながった。如何なるブランドも、細分化された市場のすべてを掌握することは不可能だということを知らなければならない。これが韓国車の上昇志向「ハイエンド志向」を行き詰らせ、下を向けば、市場進出、勃興が著しい中国自主ブランド車が立ちふさがり、前後左右、困難な状況に追い込まれた。ブランド力と販売量の間で、韓国車はモデルチェンジの好機を逸したのである。
日欧米に再び奪われていくシェア
韓国車にはもはやチャンスはなくなってしまったのか?最近の各種の分析報道には次のような観点が少なくない。中国自主ブランドの勃興が韓国車の市場シェアを横取りし、コストパフォーマンスを販売手段とする韓国車が中国で生存し続ける土壌はなくなり、中には、中国撤退は不可避、という分析すらある。現代起亜本部はアジア地区の他の市場配置を強化し、中国における落ちこみのリスクからなんとかして逃れようとしていることも、側面からこの種の判断を実証している、という報道もある。
しかし、中国自主ブランドはそれほど強大化したのか?韓国車は中国で生存の土壌を失ってしまったのか?おそらくはそうではない、というのがその答えだ。
現代起亜が短時間内に、アメリカ市場に参入し、ヨーロッパ市場に参入し、続いて中国市場で勃興したのは、まずその質が保障されたものであったからだ。中国に、現代起亜を上回る自主ブランドはいくつあるのだろうか?「中国の大手自動車メーカー吉利汽車は3~5年以内にフォルクスワーゲンの品質を上回る」という非常に楽観的な分析があるが、実際、それはかなりの自信過剰というものだろう。
韓国車が空けた市場シェアはどこへ行ったのか?実は、その大部分はグレードアップして日本車、欧米車に行った。東風ホンダはこれまでの急速な発展の原因を以下のように総括した。韓国車の衰退が好機――数年前に日本車が壊滅的状況に陥った時のような好機―を与えてくれた。
韓国車の生存空間が依然として存在するという予測が可能なのは、「ブランドの限界を突破することができれば、さらに発展する機会がある」という時だろう。もし韓国車の質と、中国自主ブランドのそれとの距離が再び開けば、再び成長のチャンスを獲得することもできるだろう。韓国車は確かにこの種の努力をしており、初めて部品調達をオープンにし、さらに多くの本土部品を採用して、コストパフォーマンスを向上させている。同時に、中国市場により多くの製品を売り出すこともしている。もちろん、未来を決定するのは次の世代の製品が成功するか否かである。
(在北京ジャーナリスト 陳言)