早稲田実業出身で、「ハンカチ王子」として一世を風靡した斎藤佑樹投手(現・日本ハム)らが熱戦を繰り広げたことから「ハンカチ・メモリアル・スタジアム」との愛称が付けられた球場が、兵庫県高砂市にある。
ところが、その愛称は2017年8月現在使われていないという。斎藤といえばかつて夏の甲子園で高校野球史に残る大フィーバーを起こしたものの、プロ入り後は低迷した。そんな浮沈と関係しているのだろうか――。
斎藤と田中が国体で再戦した球場
愛称がつけられていた「高砂市野球場」は、斎藤が夏の甲子園で優勝した2006年、秋の国民体育大会「のじぎく兵庫国体」の野球競技に使用された。決勝では早実と、田中将大(現・ニューヨーク・ヤンキース)擁する駒大苫小牧が甲子園の再現となる運命的な再戦を果たしていた。
高砂市文化スポーツ課の担当者は2017年8月22日のJ-CASTニュースの取材に、「夏に続いて兵庫国体も、徹夜組が出るほど観客がつめかけ、報道陣も多数集まる大盛況となりました。そこで今後の球場のPRをかねて何か形に残せないかと、当時の市長が愛称をつけることを提案し、市職員が考案しました」と話す。07年に決定し、球場には「ハンカチ・メモリアル・スタジアム」と書かれた看板が設置された。だが8年後の13年秋、ある事情からその愛称は使われなくなった。
こうした内容が地元の神戸新聞によって17年8月21日に報じられると、インターネット掲示板では
「プロ入りしてもロクに活躍しないから」
「さんざん利用しておきながら価値がなくなるとポイ捨てかよ」
「大学の4年間で完全にポンコツ化した」
など、プロ入り後の斉藤の不振が原因ではないかと勘繰られた。
実際、斎藤の成績は芳しくない。自己最多勝利数は1年目の6勝(6敗)。1軍0勝の年もあり、17年も1勝3敗、防御率8.18(8月22日現在)と浮上のきっかけをつかめない。18日放送の「NEWS ZERO」(日本テレビ系)でインタビューを受けた斎藤は「引退とかクビは感じているというか頭の中にある」と苦悩を明かしている。
台風で壊れた看板
しかし、市の担当者は「ハンカチ・メモリアル・スタジアム」の愛称消滅について「斎藤選手の人気の変化が特段影響したわけではありません」と話す。兵庫国体では斎藤、田中以外にも大嶺祐太(現・ロッテ)や橋本良平(元・阪神)ら、「ハンカチ世代」と呼ばれる超高校級選手が複数出場しており、「愛称には『ハンカチ王子』とともに『ハンカチ世代』の意味合いがあります」という。
当時の「ハンカチ」人気は凄まじく、地元市民の球場の利用促進につながり、PRは一定の成果をあげた。一方で、球場の看板は国体後のあまった材料で作ったものだが、台風で壊れる程度の強度で、その度に作り直した。
「愛称の設定はもともとゼロ予算ではじまりました。頑丈な看板を用意するには経費がかかるので財政的な問題が出ます。名前を公募していたならどうにか残そうとしたかもしれませんが、職員の間で考えたものだったのでそうはなりませんでした。そして看板は2013年秋の台風で壊れて撤去して以来新設しなくなり、愛称も使われなくなりました」
斎藤自身がテレビ番組などで「『ハンカチ王子』という名前が嫌だった」と発言していたのも影響したという。「ハンカチ・メモリアル・スタジアム」の名はひっそりと姿を消し、現時点で「再登板」の予定もないという。