民進党の蓮舫代表をめぐる日本国籍と台湾籍の「二重国籍」問題で、蓮舫氏は2017年7月18日、日本国籍選択を宣言した日が記された戸籍謄本の一部や台湾当局が発行した台湾籍離脱証明書など、現在は日本国籍しか持っていないことを示す書類を公表した。
蓮舫氏は7月13日の会見で
「戸籍そのものではなく、私自身がすでに台湾の籍を有していないことが分かる部分」
と話していたが、さらに踏み込んで戸籍の一部公開に踏み切った。ただ、この問題が発覚したのは代表選が行われていた16年9月。公開までに10か月もかかったことになる。蓮舫氏は戸籍に自分以外の家族の情報が含まれていることなどから公開に否定的だったが、17年春に子どもが成人し、家族会議で理解が得られたことなどから公開に踏み切ったと説明。戸籍公開については「これを他者に当てはめたり、前例とすることは認めることができない」と繰り返した。
子どもが成人し「話し合いをしたところ、家族の了解が得られた」
蓮舫氏は記者会見冒頭で、
「本来、戸籍は開示すべきではないと思っている。また、誰かに強要されて示すということはあってはならない。ただ、私は民主党(編注:民進党の言い間違いとみられる)の代表、野党第1党の党首として、私の発言の信頼が揺らいでいるということはあってはならない。それと、何よりも、現政権に対して責任を果たすことを求める立場であることも勘案した」
などと開示の理由を説明。その上で、
「これを他者に当てはめたり、前例とすることは認めることができない」
と、今回の開示をあくまでも「例外」としたい考えだ。
この時期の公開を決断した経緯については、双子の子どもは17年春に20歳になって成人年齢に達したとして、
「7月に息子から留学先から帰国した際に、改めて子どもたちと話し合いをしたところ、家族の了解が得られた」
などと説明した。
自筆署名部分や戸籍の家族に関する記述は「白塗り」
戸籍以外に公表されたのは(1)台湾籍離脱の申請書(2)離脱申請に必要だった台湾パスポート(3)台湾当局発行の離脱証明書、などのコピー。戸籍の蓮舫氏の夫や子どもに関する情報や、他の書類の蓮舫氏の自筆署名部分は「白塗り」の上で公開された。
蓮舫氏は父親が台湾出身、母親が日本人で1984年の国籍法改正までは日本国籍が取得できなかった。蓮舫氏は改正国籍法が施行された1985年に日本国籍を取得。この時、蓮舫氏は父親が台湾籍の離脱手続きを行っていたと認識していたが、16年9月の民進党代表選期間中に台湾籍が残っているのではないかという疑惑が浮上。台湾当局に確認したところ、籍が残っていることが明らかになった。
蓮舫氏は指摘を受けて16年9月に台湾籍の離脱手続きを行ったと説明していたが、日本国籍を選択したことを示す戸籍謄本が公表されていなかったため、「二重国籍」状態が続いているのではないかとの声がくすぶり、党内からも戸籍の開示を求める声が出ていた。
台湾当局の「証書」つきの「外国国籍喪失届」は受理されず
現在の国籍法の規定では、「二重国籍」状態の人は22歳になるまでに(「二重国籍」状態になったのが20歳以降だった場合は、その2年後までに)、いずれかの国籍を選択する必要がある。日本国籍を選択するためには、(1)外国の国籍を離脱する(2)日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言をする、の2通りがある。
蓮舫氏が最初に試みたのが(1)の方法だ。16年9月6日、台湾の駐日大使館にあたる「代表処」に対して台湾籍離脱を申請。申請書や、申請時に提出した台湾パスポートのコピーも報道陣に公開された。これを受けて台湾当局は、台湾籍がなくなったことを示す「国籍喪失許可証書」を9月13日付で発行。蓮舫氏はこの「証書」をつけて「外国国籍喪失届」を提出したが、法務省は
「台湾当局発行の国籍喪失許可証が添付された外国国籍喪失届については、戸籍法第106条の外国籍喪失届としては受理していない」
として受理しなかった。
蓮舫氏側が法務省に
「仮に(喪失届が)受理されないのであれば、日本国籍の選択手続きとしてどのような手続きを行えばよいのか」
と確認したところ、同省は
「台湾出身者については、日本国籍の選択の宣言の手続き(国籍法第14条第2項後段)により日本国籍を選択することとなる」
と回答した(法務省は蓮舫氏側に書面で回答しており、この書面も公開された)。つまり、台湾出身の蓮舫氏は上記(1)の手続きができないことが明らかになったため、(2)を行うことになったわけだ。「日本国籍の選択の宣言」を行ったかどうかは戸籍を見ないと分からない。今回、蓮舫氏は戸籍謄本の「名」「生年月日」「国籍選択」の3項目を開示し、16年10月7日に国籍選択したことを明らかにした。報道陣に公開された戸籍謄本のコピーは17年6月28日付だった。