日本の歴史上初めてラーメンを振る舞ったのは「水戸黄門」として知られる江戸時代の水戸藩主・徳川光圀とされてきたが、その200年以上前にすでに国内で食べられていたとの新説が浮上した。
新横浜ラーメン博物館(以下、ラー博。横浜市)では、日本最古のラーメンだった光圀のラーメンレプリカが展示されているが、歴史が覆ったことでどうなるのか。
「経帯麺」とは何か
ラー博は2017年7月13日、公式ウェブサイトで「ラーメンのルーツとなる中国の麺料理が室町時代に食べられていたことがわかりました」と発表した。根拠となる史料の1つは、足利義満が京都の相国寺に設けた「蔭涼軒(いんりょうけん)」に住む僧侶が記録した『蔭涼軒日録』という日記。もう1つは、元時代の中国で書かれたとされる、宋時代の生活をまとめた『居家必要事類(きょかひつようじるい)』という生活百科事典のような書物だ。
『蔭涼軒日録』には、1485年に僧侶が『居家必要事類』を調べて「経帯麺」を見つけたこと、1488年には来客に経帯麺を作って振る舞ったことが書かれていた。
『居家必要事類』にある経帯麺の原料は、小麦粉、かん水(強アルカリの炭酸ソーダ)、塩。J-CASTニュースの取材に答えたラー博の担当者によると、日本のラーメンに使う中華麺の条件は「かん水が使われていること」であり、これに合致する経帯麺が「現在のラーメンの中華麺であることは間違いありません」として認められた。なお、スープは「今回は寺院の記録ということで、精進料理の梅昆布汁やしいたけ汁が用いられていたと推測されます」という。
これまでの最古は徳川光圀が振る舞った1697年
これまでは『日乗上人日記』の記録から、日本で初めて食べられたラーメンは1697年、徳川光圀が水戸藩に招いた明の儒学者によって伝授された中華麺を家臣に振る舞ったものだとされていた。それが新たな史料によって200年以上更新されることになる。
ラー博では、経帯麺のレシピを再現したレプリカをギャラリーに展示する。ここにはすでに、徳川光圀が振る舞ったとされるラーメンを再現したレプリカが展示されているが、撤去せずに「今後は経帯麺と光圀公のラーメンの両方を並べて展示します」と据え置かれる。
この記述を発見したのは、そば・うどん店向け商社・イナサワ商店(東京都北区)の稲澤敏行会長だという。専門家の協力で現代語への翻訳作業などを進め、歴史的な書物として確定し、今回の発表に至った。また、ラーメンの歴史と同時に、「室町時代当時の日本と中国が、仏教界で食文化の交流をしていたことも垣間見える史料の1つだと思います」とラー博の担当者は話している。