政策秘書への暴言・暴行が2017年6月22日発売の「週刊新潮」(29日号)に報じられ、自民党に離党届を提出した豊田真由子・衆院議員(42)は、これまでの約4年半の議員生活で計100人の秘書が入っては辞めていったという。
皮肉なことに、過去の国会では「いったん働きはじめた方が辞めてしまう状況が非常に多い」と労働環境の改善を訴えていた。
不祥事が相次ぐ衆院2回生の1人
豊田氏の行為を新潮に「告発」した元政策秘書の男性(55)は、5月19~21日の3日間にわたって豊田氏に殴る蹴るの暴力を受け負傷、また自動車運転中、後部座席の豊田氏から罵声を浴びせられ続けるなどしたという。豊田氏の秘書についたのは17年4月だったが、通常国会会期末の6月18日に辞職した。
豊田氏は2012年12月の衆議院議員選挙で初当選。自民党で不祥事が相次ぐ衆院2回生の1人だ。新潮記事によると、辞職した秘書の人数は最初の1年半で20人以上、17年6月までの4年半で100人にのぼるという。
23日放送の「ビビット」(TBS系)には、政治評論家で国会議員秘書の経験もある有馬晴海氏が出演し、「秘書の間では豊田事務所は大変だと何年も言われている。豊田事務所のスタッフに泣きを入れられて、『大変だ、嫌なんだ』と時々聞いていた。(豊田氏は秘書を)ちょっとしたミスで叱責すると聞いたことがある。事務所に入って1週間でやめる人もいた」と発言している。
一方、厚生労働省の課長補佐だった豊田氏は、議員になってからも労働政策について発言していた。比較すると、今回明るみになった自身の秘書への振る舞いとは相反するかのようにも聞こえる。
「働き続けていかれる仕組みづくりが非常に大切」
13年4月15日の衆院予算委員会では、医師・看護師の不足・偏在問題に触れる中で「人材育成といった観点の努力はもちろんのこと、やはり、一旦働き始めた方がやめてしまうという状況、これも非常に多いというふうに思います。ですので、勤務環境の改善、働き続けていかれる仕組みづくりというものが非常に大切だと思っております」と、労働環境の問題点を指摘していた。
地元・埼玉で夏祭りやスポーツの試合を訪れたという16年8月9日のフェイスブックでは、集まった子どもたちに「『強い人』は『優しい人』です。周囲や社会の人を思いやり、助ける人になってください」と伝えた旨を投稿。さらに「光が当たった人だけががんばった人なのではなく、見えないところで目立たぬところで、がんばっている本当に多くの人たちの力で、この社会は成り立っています」と、陰で支える人々を労う記述もある。
このほか豊田氏は初めて国会に立った13年3月15日の厚労委員会で、「初めてでございまして、ちょっと失敗もあるかもしれませんけれども、どうぞ御容赦くださいませ」と柔らかな表情で述べていた。
なお男性の告発によれば、男性含む秘書らのミスで豊田氏の支持者に送付するバースデーカード40件の宛名が間違っていたことに対し、豊田氏は「これ以上私の支持者を怒らせるな」「お前が今から行ってこい」「お前が全部配り終わってこいよ今日中に」「お前は頭がおかしいよ」など、秘書へ厳しく責任追及を行ったとされている。