上皇は京都に戻られるべきか 『京都ぎらい』著者は「違和感」 

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   退位後の上皇に京都に住んでもらいたい――。京都市の門川大作市長が2017年6月12日、天皇陛下の退位を実現する特例法の成立以降では、初となる定例会見を開き、皇族の一部に京都に住んでもらう「双京構想」の実現に向けた協議を始めると明言した。ツイッターなどのインターネット上では、「京都という地の傲慢さしか感じないニュースだ」「京都のしたたかさ、ここにありって感じだね」と波紋を広げている。

   J-CASTニュースは、「京都ぎらい」(朝日新聞出版)の著者・井上章一氏と旧華族の関係者に「双京構想」についてどう思うか、聞いてみた。

  • 天皇陛下の退位を実現する特例法が成立した(画像は、宮内庁提供動画から)
    天皇陛下の退位を実現する特例法が成立した(画像は、宮内庁提供動画から)
  • 門川大作・京都市長(写真は、2017年2月撮影)
    門川大作・京都市長(写真は、2017年2月撮影)
  • 京都御所正殿の紫宸殿
    京都御所正殿の紫宸殿
  • 天皇陛下の退位を実現する特例法が成立した(画像は、宮内庁提供動画から)
  • 門川大作・京都市長(写真は、2017年2月撮影)
  • 京都御所正殿の紫宸殿

東京と京都の双方が、「我が国の都」へ

   特例法は2017年6月9日、参院本会議で可決され、成立した。京都新聞12日付の記事「『上皇』京都滞在、国に要望へ 市長、特例法成立で」によると、門川市長は会見で

「京都における上皇の滞在や宮中行事の実施に関し、具体的にどういう可能性があるのか、知事や各界の有識者らと近々に再び協議を行い、早急に国に要望したい」

との考えを示した。「国会で特例法が成立するまでは慎重に発言すべきと考えていた」という。

   京都市、府などは2010年、行政や経済、学会などの代表者を集めた「京都の未来を考える懇話会」を発足し、13年5月に「双京構想」をまとめた。京都市の公式サイトでは、

「日本の大切な皇室の弥栄(いやさか)のために、皇室の方に京都にもお住まいいただき、政治・経済の中心である『東京』と文化の中心である『京都』が我が国の都としての機能を双方で果たしていくこと」

と「双京構想」を説明。皇族も参加される国際会議や宮中行事を京都に呼び込み、皇族が足を運ぶ機会を徐々に増やすことで、将来的に居住してもらうのを目指している。

「幕末以来ずーっと首を長くして...」

   会見の内容がニュースで報じられると、ツイッターなどでは

「京都という地の傲慢さしか感じないニュースだ」
 「あのねえ、ご高齢が理由で譲位されるわけでしょう。住み慣れた場所でゆっくりさせてあげなよ」

という反論が上がる一方、

「上皇陛下はどう考えても歴史的にみても京都におかえり遊ばすのが妥当でしょ!」
 「京大病院に近いね、体調管理なども便利」

と賛成する声も寄せられた。

   794年(延暦13年)から1869年(明治2年)まで、天皇の住まい、すなわち皇居は京都にあった。最後に住まわれた場所は、現在の京都御所(京都市上京区)。光厳天皇が1331年(元弘元年)に即位されてから御所となり、1392年(明徳3年)の南北朝統一で、正式に皇居と定められた。明治までの約500年間、歴代の天皇は京都御所で過ごされたのだ。

   こうした歴史的な背景から、上皇は京都へ「お戻りになる」べきだという意見もネット上にはみられる。元防衛副大臣の長島昭久衆院議員は13日、ツイッターで

「警備上の問題など諸々あると思いますが、一考に値するのではないでしょうか。そもそも京都の人々は、天皇さまがいつお戻りになるのか、幕末以来ずーっと首を長くして心待ちにしていると聞きます。もちろん上皇上皇后両陛下のご意向が最優先だとは思いますが」

と賛意を表明している。

   このほかにも、ツイッター上では、

「京都人は『東京都(ひがし京都)に遷都した覚えはない。天皇はんは旅行に行ってはるだけ。日本の首都は京都。』と言っております」
 「やっぱ京都の人は天皇家は東京に下ってるだけなんでこっち戻ってくるのが正解なんじゃね?って思っているんだなぁっとか思う」

といった声が上がっている。

   京都市総合企画局・市長公室の広報担当者は13日、J-CASTニュースの取材に、

「市長は以前から、皇族の方が京都へお住みいただければいいと申しております。たまたま特例法が成立して初の会見だったため、反響が大きかったのでしょう。報道で誤解された方もいるかもしれませんが、皇族から上皇1人だけ離れていただくなどとは考えていません」

と説明した。

京都御所は「京都」ではない、との声も

   「京都」と一言で言っても、中心部の「洛中」と周辺部の「洛外」がある。本物の「京都人」を自負できるのは「洛中」育ちだけで、「洛外」育ちはことあるごとに一段下にみられている――。「洛外」出身で、国際日本文化センター教授の井上章一氏は15年、著書「京都ぎらい」(朝日新聞出版)でこんな体験をつづった。同書はその年、爆発的に売れて16年の新書大賞1位に輝いた。

   井上氏はこの本で、

「...京都へかえってきてほしいとねがう御仁が、この街には少なからずいる。東京の皇居はただの行在所(あんざいしょ)、つまり宿泊所で、本拠は今日なお京都御所にある。天皇家は、ほんの百数十年間、東京にたちよっているだけで、都はまだ京都にある。そう言いつのる人さえ、いなくはない」

と述べていた(135頁)。「京都人」がそこまで強気になるのは、「遷都の詔勅がまだされていない」からという。

   J-CASTニュースが15日、井上氏に取材すると、こうした「京都人」の考えについて、「個人的な意見」と前置きし、「私は違和感を抱いている」と話した。

「戦後憲法下では、天皇は勅令を出せません。そんな話は、筋が通らないのです。陛下が(京都に)帰りたいとおっしゃるなら、色んな手立てを考えるでしょうが、そんな気持ちを持っているとは、とても思えません。京都の人も『帰ってきて』と必ずしも思っているとは限りません」

   井上氏はさらに、

「よく『京都』はどこからどこまでですか、と聞くと、狭い人で御池通りまで、広い人で丸太町通りまで、だと言われます」

と続けた。

   京都市内を東西に流れる大通りは北から、今出川、丸太町、御池...四条...と続いている。つまりここでの「京都」に、今出川と丸太町に挟まれる京都御所(上京区)は入っていない。

「中京区と下京区には、祇園祭りに山や鉾を出される人、祇園さんの氏子がいらっしゃいます。そうした方は時に、京都御所は洛外だ、とおっしゃいます。尊皇精神を持っていらっしゃらないからです」

   井上氏は最後に、

「昭和20、21年頃、昭和天皇に退位していただき、裕仁(ゆうにん)上皇として仁和寺で余生を送ってもらうプランがあったと、聞いたことがあります」

と明かした。計画者は近衛文麿・元首相だったと、聞いているそうだ。

奈良も、離宮を用意する考え

   J-CASTニュース記者は13日、旧華族の動向に詳しい関係者に取材した。関係者は

「天皇が江戸にいたのは、たかが150年ですが、京都では1000年です。歴史のストックが全然違います」

と話し、

「日本は、いくら政治体制が変わろうとも、伝統文化は残ってきた数少ない国で、長きにわたって日本文化が熟成してきた地は、京都でした。そうした歴史を考えると、(京都市が『双京構想』を進めるのは)変ではないし、無理もないと思います」

と説明した。

   一方で、「あくまで政治行政の問題ですから、現実的にできるのか、と考えるとどうなのでしょうね。宮内庁を分立させねばならないかもしれませんから」と疑問視していた。

   奈良県の荒井正吾知事も14日の定例記者会見で、天皇陛下の退位後のお住まいとして奈良に離宮を用意する考えがあると明らかにしている。

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