上皇は京都に戻られるべきか 『京都ぎらい』著者は「違和感」 

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京都御所は「京都」ではない、との声も

   「京都」と一言で言っても、中心部の「洛中」と周辺部の「洛外」がある。本物の「京都人」を自負できるのは「洛中」育ちだけで、「洛外」育ちはことあるごとに一段下にみられている――。「洛外」出身で、国際日本文化センター教授の井上章一氏は15年、著書「京都ぎらい」(朝日新聞出版)でこんな体験をつづった。同書はその年、爆発的に売れて16年の新書大賞1位に輝いた。

   井上氏はこの本で、

「...京都へかえってきてほしいとねがう御仁が、この街には少なからずいる。東京の皇居はただの行在所(あんざいしょ)、つまり宿泊所で、本拠は今日なお京都御所にある。天皇家は、ほんの百数十年間、東京にたちよっているだけで、都はまだ京都にある。そう言いつのる人さえ、いなくはない」

と述べていた(135頁)。「京都人」がそこまで強気になるのは、「遷都の詔勅がまだされていない」からという。

   J-CASTニュースが15日、井上氏に取材すると、こうした「京都人」の考えについて、「個人的な意見」と前置きし、「私は違和感を抱いている」と話した。

「戦後憲法下では、天皇は勅令を出せません。そんな話は、筋が通らないのです。陛下が(京都に)帰りたいとおっしゃるなら、色んな手立てを考えるでしょうが、そんな気持ちを持っているとは、とても思えません。京都の人も『帰ってきて』と必ずしも思っているとは限りません」

   井上氏はさらに、

「よく『京都』はどこからどこまでですか、と聞くと、狭い人で御池通りまで、広い人で丸太町通りまで、だと言われます」

と続けた。

   京都市内を東西に流れる大通りは北から、今出川、丸太町、御池...四条...と続いている。つまりここでの「京都」に、今出川と丸太町に挟まれる京都御所(上京区)は入っていない。

「中京区と下京区には、祇園祭りに山や鉾を出される人、祇園さんの氏子がいらっしゃいます。そうした方は時に、京都御所は洛外だ、とおっしゃいます。尊皇精神を持っていらっしゃらないからです」

   井上氏は最後に、

「昭和20、21年頃、昭和天皇に退位していただき、裕仁(ゆうにん)上皇として仁和寺で余生を送ってもらうプランがあったと、聞いたことがあります」

と明かした。計画者は近衛文麿・元首相だったと、聞いているそうだ。

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