経団連が2017年5月末、創立70周年の記念パーティーを東京都内のホテルで開き、安倍晋三首相が「日本の戦後の発展は企業と産業界の活動に支えられてきた」と語るなど、経団連と政権の親密ぶりを印象づけた。東証1部上場の大企業を中心とする経団連は、戦後、政治献金を武器に政府・与党に経済界が求める政策の実現を図ってきた。
その政治献金をめぐっては「政策をカネで買う」との批判が強い。このため、経団連は時の政権や世論の動向を見ながら、献金の中止と再開を繰り返してきた。現在の榊原定征会長は2014年の会長就任とともに献金を再開し、安倍政権との距離を縮めたが、残る任期が1年を切る中、その手腕と存在意義があらためて問われている。
政治献金めぐる歴史
経団連は戦後間もない1946年8月、「財界の総本山」として誕生した。1954年に起きた「造船疑獄」で政界が混乱したことを受け、経団連は当時の民主、自由両党に保守合同を働きかけ、現在の自民党が誕生するきっかけを作った。
この時、始まったのが政治献金だ。自由主義と社会主義の両陣営が対立する東西冷戦の真っただ中とあって、初代会長の石川一郎氏(日産化学工業社長)は献金を「民主主義維持のコスト」ととらえ、当時としては「政治家に必要なクリーンな活動資金」として、会員企業に献金額を割り振る「あっせん」を行った。
高度経済成長を経て、経団連は献金をパイプに自民党政権と蜜月時代を築いたが、佐川急便事件やゼネコン汚職など「政治とカネ」の問題で1993年に非自民の細川連立政権が誕生すると、当時の平岩外四会長(東京電力会長)は「政治資金は公的助成と個人献金で賄うことが望ましい」として、政治献金のあっせんを中止した。
その後、経団連は十年余にわたり献金への関与をストップしたが、奥田碩会長(トヨタ自動車会長)が2004年、「政治にカネも出すが口も出す」との名セリフとともに政治献金への関与を再開。自民、民主(当時)両党の政策を5段階で評価し、会員企業に献金するよう呼びかけた。
経団連が再び献金を中止したのは2010年で、御手洗冨士夫会長(キヤノン会長)が決断。前年に誕生した民主党政権が企業・団体献金を禁じたためだった。
御手洗会長に次ぐ米倉弘昌会長(住友化学会長)は東日本大震災や原発事故などをめぐり民主党政権と対立。アベノミクスの目玉となる大規模な金融緩和を「無鉄砲」と批判するなど、政権に復帰した安倍首相とも疎遠となった。