清宮100号達成も高校通算トップ3その後の活躍は...

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   早稲田実業の清宮幸太郎選手(3年)が歴史に名を刻む高校通算100本塁打を達成したが、歴代の通算本塁打上位陣を見ると、その後必ずしも指折りのスラッガーにはなっていない。

   清宮を除いた上位3人のうち、プロ野球入りしたのは1人で、しかもドラフト5位指名だった。

  • 高校通算100本塁打は大きく報じられた(写真は2017年6月5日のサンケイスポーツ、日刊スポーツ、毎日新聞)
    高校通算100本塁打は大きく報じられた(写真は2017年6月5日のサンケイスポーツ、日刊スポーツ、毎日新聞)
  • 高校通算100本塁打は大きく報じられた(写真は2017年6月5日のサンケイスポーツ、日刊スポーツ、毎日新聞)

清宮は100本中77本が練習試合

   清宮の通算100本目は右翼へ推定135メートルの特大場外弾だった。2017年6月4日、愛知の小牧市民球場で行われた愛知県高校野球連盟主催の招待試合・享栄戦で飛び出した。

   高校通算100本は史上2人目とされる「快挙」で、すでにプロ野球界での活躍が期待されているが、「高校通算本塁打数」の信頼性には懐疑的な向きもある。

   もともとこの記録は各チームの資料にもとづく非公式なもので、練習試合での本塁打数も含まれている。当然、時には格下相手に試合することもあり、球場の広さにもばらつきがある。清宮は100本中77本が練習試合で公式戦は23本。うち甲子園での記録は15年(1年生)の夏に5試合出場して放った2本。16年の春夏は甲子園を逃し、17年春は出場したが本塁打ゼロのまま2回戦で敗退した。

   初めて100本を超え、現在通算記録1位とされているのは12年の山本大貴によって達成された107本だったが、山本はプロ野球界に入らなかった。しかも「プロでやっていける自信がなかった。通用するイメージが湧かなかった」と17年5月29日付のスポーツ報知のインタビューに明かしている。出身校である神戸市の神港学園の野球グラウンドは左翼100メートル、中堅105メートル、右翼90メートルで比較的狭く、左の強打者だった山本には特に有利だったとされる。山本自身、いくら打っても「どうせ(グラウンドが狭いからと)叩かれる」と思っていたという。公式戦は通算「10本ちょっと」で、甲子園には不出場。卒業後の13年から社会人野球のJR西日本でプレーしたが、16年で現役引退した。

「分かりやすい数字ではあるが、一方では曖昧な指標でしかない」

   高校通算本塁打数で歴代4位の94本を2010年に記録した伊藤諒介も神港学園だった。卒業後は法政大学に進んだが、4年間のリーグ戦は61試合で2本塁打だった。現在は大阪ガスで内野手としてプレーしている。

   歴代3位の黒瀬健太は15年に通算97本を放ち、ソフトバンク・ホークスに入団したがドラフト順位は5位だった。プロ野球取材を長く手がけているスポーツライターの田尻耕太郎氏は16年1月13日付「Number Web」で、黒瀬について「超高校級」と能力を認める一方で、「高校通算本塁打。分かりやすい数字ではあるが、一方では曖昧な指標でしかない。グラウンド環境や対戦相手のレベルによりけりだし、ましてや自己申告に過ぎない。だから、それが選手の実力とイコールの数値とは言い切れない」とその数値自体には疑問を呈した。黒瀬は甲子園出場経験もなく、初年16年は2軍で15試合、打率.186、本塁打3本だった。

   ただ、高校通算本塁打数の歴代5位以降には日本ハムの中田翔(5位・87本)、西武の中村剛也(8位・83本)、筒香嘉智(11位・69本)ら現役の名スラッガーも多く、相関関係がないわけではない。

   また、清宮の打撃力は球界でも認められているところで、17年6月5日付の日刊スポーツによると、中村剛也は「柔らかい。バットをしならせて打てるから遠心力で打球がより飛ぶ」と評価している。巨人の内田順三・巡回打撃コーチは「遠くに飛ばすし金属バットで打っている感じがしない」「(巨人時代の)松井(秀喜)も2年目から見たけど、筋力、体力、インパクトにぶつける力があった」と日米通算507本の松井を引き合いに出していた。

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