「零戦」が幕張の空を舞う 「レッドブル・エアレース」開幕

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   単発プロペラ機がコースを通過する時間を競う「レッドブル・エアレース」が2017年6月3日、幕張海浜公園(千葉市美浜区)で開幕した。エアレースが日本で開催されるのは今回が3回目。今回は旧日本軍の主力戦闘機「零戦」や往年の名旅客機として知られるDC-3型機も登場し、大勢の観客を沸かせた。

  • 日本人パイロットによる「零戦」の「里帰りフライト」が実現した。後方は「パイロン」と呼ばれるレース用の障害物だ
    日本人パイロットによる「零戦」の「里帰りフライト」が実現した。後方は「パイロン」と呼ばれるレース用の障害物だ
  • 往年の名機、DC-3型機も幕張の空を舞った
    往年の名機、DC-3型機も幕張の空を舞った
  • 「エアレース」には14機が参加している
    「エアレース」には14機が参加している
  • 日本人パイロットによる「零戦」の「里帰りフライト」が実現した。後方は「パイロン」と呼ばれるレース用の障害物だ
  • 往年の名機、DC-3型機も幕張の空を舞った
  • 「エアレース」には14機が参加している

約38万時間かけて飛行可能な状態に復元

   零戦は、優れた機動性から戦時中は英米から「ゼロ・ファイター」として恐れられたが、レプリカを除くと4機しか現存しない。そのうちの1機、三菱重工業が1942年に製造した「零式艦上戦闘機22型」が「里帰り」を果たした。ソロモン海戦(1942年)で撃墜されたとみられ、1970年代に南太平洋のパプアニューギニアで発見された残骸を、約38万時間かけて飛行可能な状態に復元した。当初搭載されていた中島飛行機製の「栄エンジン」は修理不能で、新たに米航空機エンジン大手、プラット・アンド・ホイットニー(P&W)社のエンジンを積み直した。操縦したのは、米国在住の飛行教官の柳田一昭さん(66)。これまでも、戦後に米国人パイロットの手で零戦が日本の空を飛んだことはあったが、日本人パイロットによる「里帰り飛行」は初めてという。

DC-3は1940年製造、アメリカン航空などで活躍

   1935年に初飛行した往年の旅客機「ダグラスDC-3」も幕張の空を舞った。世界で最初の大量輸送に向いた本格的な商業用旅客機だと考えられており、1万6000機以上が製造された。今でも150機程度が飛行可能な状態だとみられている。今回飛来した機体は1940年に製造され、アメリカン航空などで世界各地を飛行。2008年にスイスの時計メーカー「ブライトリング」が修復し、17年3月に始まったワールツアーの一環として「来日」中。これまでに熊本、神戸、福島で飛行している。

   「エアレース」は6月3日には予選が行われ、14機が2回ずつ飛行。このタイムをもとに6月4日に行われる本選の組み合わせが決まった。6月4日には14機が優勝を目指して争うほか、零戦とDC-3も改めて飛行予定。

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