女子プロゴルフの宮里藍(31)が2017年5月29日、東京都内で記者会見を開き、今季限りでの現役引退を決断した経緯を語った。
苦悩が襲ったのは2012年シーズン。米国ツアーに本格参戦を始めて7年目ながら、目標としていた米国メジャー大会では未勝利だった。宮里は、得意だったパターが「イップスみたいになってしまった」と振り返った。
「モチベーションの維持が難しくなった」
18歳だった03年、史上初の女子高校生プロゴルファーとなった宮里は、06年から米国に拠点を移した。09年にエビアン・マスターズで米ツアー初勝利をあげて以降、コンスタントにツアー勝利をつかんできた。宮里が「一番自信があった時期」というのがこの09~12年だが、最も権威ある米メジャーでの優勝は果たせなかった。
宮里は「モチベーションの維持が難しくなったのが引退の一番の決め手」と話した。メジャー大会で優勝できずに終わった12年シーズン、メンタルコーチに相談した。「いろんな選手にそういう(モチベーションが低下する)時期はあるから、戻せるように努力しよう」という話でまとまったが、「戻ってこなかった。自分と向き合えない。トレーニングでも自分を追い込めない。プロである以上結果を残したい。でも自分が理想とする姿はなかった」と苦しんだ。
不振に陥ったこの時期、「パターがイップスみたいになってしまった」という。「イップス」とは一般に、アスリートが集中すべき局面で極度に緊張し、思い通りのプレーができなくなる状態をいう。「どうすれば立て直せるか分からなかった」とも明かした。
日米のツアーで何度も優勝し、10年には世界ランキング1位も経験した宮里だが、活躍できた要因は自身も「得意だった」と認めるパターの正確さだ。
「米ツアー参加選手の中では体格は恵まれていないしパワーもないので、ショットの精度と小技で勝負してきた。メンタルトレーニングも加わり、それらが土台となって戦えた。ゴルフの良いところは必ずしも体格の差がハンディにならないこと。自分をコントロールし、自分のゴルフを信じてやってきた」