2017年5月7日投票のフランス大統領選は、無所属で中道のエマニュエル・マクロン前経済相(39)が得票率66%で当選し、極右国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン党首(48)を大差で退けた。
異例が続いたリーダー選びは、最大のどんでん返しを封印したまま終わるが、フランスと欧州連合(EU)の危機が消えたわけではない。最長5年、先送りされただけである。
低くなった「ルペン支持」のハードル
マクロン支持のかなりの部分は、ルペンへの不安の裏返しだ。移民排斥や治安強化には共感できても、彼女が言うようにEUから出て通貨フランを復活させる手間を考えれば二の足を踏む有権者が多かったとみられる。「お金は自由を鋳造したもの」と言ったのはドストエフスキーだが、復活フランは不自由極まりない通貨になろう。
ルペンは嫌だがマクロンもねえ、という投票態度は、大統領選としては1969年に次ぐ低投票率(約75%)や、10%を超えた無効票にも表れた。
そして極右支持のハードルは確実に低くなった。ルペンの父がシラク大統領と戦った2002年の大統領選と比べ、ルペンの得票率は倍近く、1000万を超す国民がFNに託したのだ。ほんの10年前まで、FN支持は公言しづらいことだったのに。
ルペンを熱く支持した地方の工場労働者や農民層は、グローバリゼーションや、自由移動による移民流入に深い恨みを抱いている。社会党、共和党の2大政党は頼るに足らず、もうだまされないぞという心理が、彼らを左右のスイングの「外側」に追い立てた。第1回投票で極左候補が20%を得票したのも同根の現象だ。