2017年4月23日にあったフランス大統領選挙の第1回投票で、極右政党、国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン党首(48)が5月7日の決選投票に進んだ。相手は「右でも左でもない」と自称するエマニュエル・マクロン元経済相(39)である。
FNの候補が大統領選の決選に出るのは、ルペン党首の父親ジャンマリ・ルペンが現職ジャック・シラクと争った2002年以来。この時は、敗退した社会党が「ファシストよりペテン師がマシ」とシラク支持を呼びかけ、FNは惨敗した。
ソフト路線と「民衆の名の下に」
今回も、敗れた共和党と社会党が決戦投票でマクロンへの投票を呼びかけ、ルペンの不利は否めない。しかし彼女の「親しみやすさ」は父親の比ではなく、極右支持のハードルはすでに大きく引き下げられている。大きなテロでもあれば、状況は一変しかねない。
ルペンはパリ第2大学を出て弁護士になり、党本部で法務を担当した。14歳の時から父の選挙運動に同行し、父を狙ったとみられる自宅アパートの爆破事件にも遭遇している。その意味では筋金入りのFN党員といえるが、親から引き継いだのは容貌と巧みな弁舌だけで、かつての反共、反ユダヤ色は薄い。
個人的にも2度の離婚を経験し、妊娠中絶や同性愛に理解を示す。FN党首の「変節」を「擬態」と警戒する向きもあるが、全国選挙で25%を得るまでに党勢を伸ばしたのは彼女のソフト路線である。その仕上げとして、人種差別的な発言を繰り返す父親を除名して話題にもなった。
今回の選挙では「民衆の名の下に」のスローガンで「フランス第一」を掲げた。もちろん、内外で相次ぐテロを受けて移民規制も訴え続けるが、もっぱらグローバル化のしわ寄せを受ける農民や零細企業、失業者ら、弱者を守ることを主眼に置いた。国家主権を欧州連合(EU)から取り戻すと。
ルペンは4月18日の夜、各候補の政策を紹介する民放TF1のインタビュー番組で、スタジオのEU旗を撤去させた。「私がなりたいのはフランス大統領であって、EUのトップではない」というわけだ。選挙キャンペーンの会場では無数の三色旗が打ち振られ、「マリーヌ!プレジダント!」(マリーヌを大統領に!)のコールが起きる。そこに、日本の「愛国保守」運動に見られる閉鎖性はない。
さらにFNをめぐる状況が2002年と異なるのは、地方自治体を基盤に選挙の足腰が鍛えられている点だろう。全国に1800人のFN議員がおり、首長を占める自治体では治安回復などで実績をあげている。
ルペンには大物の「援軍」も現れた。反移民で共鳴するトランプ米大統領がその「強さ」を公然と評価したほか、反EUで響き合うロシアのプーチン大統領も、クレムリンに迎えて歓談する破格の待遇を見せた。無論それだけで外交ができるわけではないが、FNは国際的にも「普通の政党」として認知されつつある。
ここ2代のフランス大統領は、右のサルコジも左のオランドも不評だった。ルペンは「マクロン=サルコジ+オランド」と主張して決選を戦うだろう。マクロンはFNの本質は変わらないとして「ナショナリズムの危険性」を突いてきそうだ。
順当ならマクロン、しかし「まさか」の可能性は捨てきれない。トランプ大統領を誕生させたアメリカの記憶も、まだ薄れていない。欧州政治を長らく見てきた者からすれば、その一点だけでも信じがたい変化である。
(ジャーナリスト 小路 明)