【熊本地震1年(下)】
「ディーン、行くんでしょ」 英出身モデル、再びボランティアに

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   熊本城からほど近い「花畑広場」。1年前、ここに熊本市の災害ボランティアセンターが設置され、毎朝多くの人が列に並んでボランティア登録をしていた。既にセンターは撤収され、記者が訪れた2017年4月16日はイベントが開催されていた。

   熊本地震では、多くのボランティアが被災地で活躍したが、それは日本人だけではなかった。英国出身のモデル、ディーン・ニューコムさん(32)は東日本大震災でのボランティア経験を熊本で生かした。

  • モデルとして活躍するディーン・ニューコムさん
    モデルとして活躍するディーン・ニューコムさん
  • ディーンさんがボランティアチーム「INJM」に物資を届けた(photo by Aki Nagai、一部加工)
    ディーンさんがボランティアチーム「INJM」に物資を届けた(photo by Aki Nagai、一部加工)
  • 益城町に到着した際のディーンさん(photo by Aki Nagai)
    益城町に到着した際のディーンさん(photo by Aki Nagai)
  • モデルとして活躍するディーン・ニューコムさん
  • ディーンさんがボランティアチーム「INJM」に物資を届けた(photo by Aki Nagai、一部加工)
  • 益城町に到着した際のディーンさん(photo by Aki Nagai)

東日本大震災で未経験の支援活動

「また僕の中で被災地に行くべきだという思いが出てきました」

   ディーンさんが交流サイト「Facebook」にこう書き込んだのは、熊本地震「本震」から1週間ほどたった2016年4月22日。黄色いワンボックスカーでその日の午後、東京を出発。支援物資を補給しながら2日後に熊本に到着した。

   「また」と書いたのは、災害ボランティアが初めてではないからだ。2011年に東日本大震災が発生した際、地震から3週間後には東北入りした。08年12月から日本に住んでモデルや役者として活動し、日本語会話に不自由はない。ただ、ボランティア経験はゼロだった。それでも被災地に向かったのは――。

「答えはシンプル。それが正しい行動だと思ったからです」

   人々が打ちひしがれている状況で、たとえ未経験の自分でも何かできるはずだ。もし邪魔になるようだったらすぐに立ち去ろうと心に決めた。以後9か月に渡り、宮城県石巻市を拠点に支援物資配送の担い手となった。

   震災後に全国から大量に送られてきた食料や日用品が、大型倉庫に保管されていた。ところが交通網が寸断され、配達する人手も圧倒的に足りず、被災者に物資が十分届いていなかったのだ。ディーンさんは3人の仲間と共に、避難所だけでなく車で女川町や牡鹿半島の小さな町をめぐった。損壊した自宅に戻らざるを得ず、情報も生活必需品も満足に入手できない被災者宅を1軒ずつたずね歩いた。

   長期の活動経験は大きな財産となった。熊本地震が起きると、友人から「ディーン、行くんでしょ」と背中を押された。自分自身、東北で培ったノウハウを熊本で生かせるかもしれないと思うと、いてもたってもいられなかった。

   最初に熊本市中心部に着くと、予想したほど被害が大きくないように見えた。ところが市東部から益城(ましき)町へ車を走らせると、状況は一変。倒壊した家々を目にして、言葉を失った。

Facebookで全国から支援物資

   ディーンさんは仲間とともに、益城町や西原村の被災者支援を決めた。まずは、食料品や日用品を欲している被災者はどこにいるか、一方で支援物資はどこに蓄積されているか、情報を集めた。また、自分たちの拠点場所を確保した。広い空間と「住所」があると、外部から被災者向けの支援物資を送ってもらい、保管しておける。幸い、熊本市東部の介護施設が協力してくれた。益城町や西原村へのアクセスもよい。こうした態勢づくりは、東日本大震災のボランティアの実体験から学び取った知恵だ。連日、物資を詰め込んだ車を走らせ、避難所や被災した家に住む人に届けた。

   熊本入りしてから詳細を更新し続けたFacebookは、支援者とつながる重要なパイプとなった。ディーンさんだけでも、5000人の「友達」がいる。その先にはさらに多くの人のネットワークがある。日々の活動を投稿する際に、現地で手に入りにくいものをリスト化して掲載した。使い捨てのスプーンとフォーク、紙皿に紙コップ、粘着性の床クリーナーに消臭剤――。すると、リストを見た人から次々と送られてきた。寄付金の使途も、Facebookで「ガラス張り報告」した。

   5月6日を最後にいったん引き揚げるが、その後2度にわたり再訪した。被災者の家族や子どもたちとの交流も深まった。心身ともにダメージがあるはずなのに、誰もが前を向こうと努力している姿に力をもらったという。滞在中の5月4日のFacebookには、「ここでシェアした時間は、みなさんのためだけじゃなく、僕たちのためにあります」と書き込んでいた。その真意をたずねると、こんな答えが返ってきた。

「僕たちは日々、お互いに助け合って暮らしています。家族や友人だけでなく、知らない人同士でも。ボランティア活動を通して、『誰かのためになれる』と満ち足りた、幸せな気持ちになれました。自分にとっての喜びでもありました」

   今は東京で、「本業」のモデルや、日本中を旅しながら紹介する動画番組制作を手掛ける。熊本で出会った人たちとは、SNSを通じて連絡を取り合っている。

「熊本を去るとき、地元の人は『遊びに来てね』と言ってくれました。今度行く時は、熊本の街や人々が復興に向かって歩んでいる様子を見たい」
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