【熊本地震1年(上)】
「仮設」暮らしの先に... 故郷を去るのか、戻るのか

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   熊本地震から1年となる2017年4月14日夜、熊本市の繁華街「下通(しもとおり)」と周辺の商店街は、週末に重なったこともあり多くの人でにぎわった。この日、熊本県内の各所では、追悼の式典やセレモニーが開かれた。

   震災により家族や自宅を失った人は、この1年をどう過ごしてきたのか。

  • 大津町に建てられた仮設団地の一部
    大津町に建てられた仮設団地の一部
  • 西原村の仮設団地に住む志賀勇さん
    西原村の仮設団地に住む志賀勇さん
  • 益城町では、倒壊した住宅の大部分が片づき空き地が点在していた
    益城町では、倒壊した住宅の大部分が片づき空き地が点在していた
  • 大津町に建てられた仮設団地の一部
  • 西原村の仮設団地に住む志賀勇さん
  • 益城町では、倒壊した住宅の大部分が片づき空き地が点在していた

「畑仕事ができない」

   震度7の地震が2度も起きた熊本県益城(ましき)町。記者は11か月ぶりに同地を歩いた。当時は崩れ落ちた家屋がそのままで、がれきが山積みになっている個所も多かったが、見た限り大半は既に撤去され、更地が点在していた。

   甚大な被害を受けたのは、益城町だけではない。南阿蘇村では、2度目の地震となった2016年4月16日未明の「本震」で大規模な土砂崩れが発生し、阿蘇大橋が崩落。多くの村民は避難を余儀なくされた。岸森俊巳さん(75)・てい子さん(69)夫妻も、同村新所地区の自宅をすぐに離れた。15年前、俊巳さんが定年を機に購入した4LDKの「昔ながらの木造の家」。てい子さんと一緒に、阿蘇の大自然に囲まれて趣味の家庭菜園や庭の手入れを楽しむ日々を送っていた。しかし地震による家屋の傷みは激しく、その後「半壊」の判定を受けた。

   自宅を出た夫妻は、てい子さんの兄や、熊本市に住む娘の住まいに身を寄せた。その間も、自宅の片付けのため南阿蘇村を行き来した。避難所やテント暮らし、車中泊も経験した。時期は梅雨から夏に差し掛かっており、「テントは暑さが耐えられませんでした」と2人は振り返る。大津町の仮設団地に入居できたのは2016年8月12日。避難生活は既に4か月ほどに達していた。

   2人が住む仮設住居は、四畳半二間に台所があり、風呂とトイレは別になっている。エアコンは1機だけで、ほかに必要なら自費で購入となる。この仮設団地は78戸で、同じ南阿蘇村から避難してきた顔見知りの住人もいるので2人にとっては心強い。ただ、お互いに騒がしくならないよう気を使っているという。集会場では週に数回、体操や料理教室といったイベントが開かれ、住人同士が交流する機会が設けられている。広々としていた南阿蘇村の自宅に比べれば手狭なのは否めないが、近所付き合いは良好だ。

   だが、2人が口をそろえたのは「畑仕事ができない」つらさだ。南阿蘇で毎日精を出していた野菜や花づくり、草むしりは2人にとっての「ライフワーク」。それが奪われた。

「楽しみがなく、テレビばかり見ていても......何もすることがなければ早めに酒でも飲むしかなか(苦笑)」(俊巳さん)
「時間はたっぷりあっても、気力がわかない」(てい子さん)。

   仮設住宅に住める期限は2年間。2人は南阿蘇村の自宅の解体を決めた。仮設を出た後は、家を探して娘と一緒に住む予定だ。

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