災害や事故などで極限状態を意識するような強い体験から発症する心的外傷後ストレス障害(PTSD)。1990年代以降、大規模な災害が発生する頻度が高まり、そのたびにPTSDのケアの必要性や重要性が言及されるようになった。
PTSDの治療では辛い記憶と向き合わねばならず、その期間が3か月にも及ぶことから精神的負担が問題となっていたが、筑波大などの研究グループはこのほど、記憶に関連する音を聞かせることで、傷になっている記憶が弱められることを発見し英科学誌に発表した。新たな治療法開発につながると期待されている。
マウスで実験、新治療法開発につながると期待
筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構の坂口昌徳准教授らが、英オックスフォード大学と共同で研究にあたり、睡眠中にトラウマ(心的外傷)に関連する音を聞かせることで、トラウマ記憶を弱めることに成功した。
研究のため行った実験ではまず、マウスに特定の音を聞かせて、その直後に軽い電気ショックを与えると、マウスはそのあと、同じ音におびえた反応(恐怖反応)を示すようになった。そして、音を聞かせてショックを与えた後4 時間以内に、睡眠中のマウスに同じ音を、目覚めない程度の大きさで聞かせたところ、24 時間後の反応に変化が現れ、睡眠中に音を聞かせたマウスでは、音を聞かせなかったマウスよりもおびえた反応が弱まっていた。
睡眠には、脳波により、浅い眠りのレム睡眠と深い眠りのノンレム睡眠があるが、トラウマを軽減させるために音を聞かせるには、ノンレム睡眠時に実施するのが重要という。
眠りに入ってから1時間以内でノンレム睡眠があらわれ、次に両眼球が動く「急速眼球運動(REM=レム=Rapid Eye Movement)」が始まり、レム睡眠に入る。眠りはこの2つのステージの睡眠で構成され、約90分周期の一定のリズムで繰り返される。
研究グループは、どちらのステージで変化がもたらされたのかを調べるため、それぞれのステージで同じ大きさと量の音を聞かせたマウスを比較。その結果、ノンレム睡眠中に音を聞かせた場合にだけ、おびえた反応が弱まることが明らかになった。
患者負担大きい「持続エクスポージャー療法」
厚生労働省のウェブサイトにある「みんなのメンタルヘルス」の「PTSD」についての説明によると、PTSDは、1980年の米精神医学会の診断基準で初めて用いられたもので、それまでは外傷神経症、災害神経症などと呼ばれていた。
日本では、1995年1月の阪神・淡路大震災や、同年3月の地下鉄サリン事件がきっかけに知られるようになり、その後は、大規模災害や犯罪だけでなく、交通事故、単独の犯罪被害、虐待などによっても生じていることも知られるようになった。
筑波大などの研究グループによると「PTSD になると、日常生活のあらゆる場面でトラウマ記憶がよみがえったり(フラッシュバック)、悪夢に悩まされたりし、生活が非常に困難になる」という。
近年では、米国を中心に確立された、思い出したときの恐怖になれる「持続エクスポージャー療法(PE)」などにより治療可能であることが分かってきているが、同療法でも3か月程度はかかることや、どの医療機関でも治療が受けられるほどには普及していないうえ、患者が辛い記憶を繰り返し思い出さなければならないため負担が大きく新しい治療法の開発が期待されている。
研究グループは、今回の成果について「心理的な不快感を伴わずに、睡眠中にトラウマ記憶を減弱できたという点で、きわめて画期的」としており、今後はどのような脳内メカニズムが減弱を引き起こしたかを検討する。