ネットで新聞はこう読まれる(前編)
『芸人式新聞の読み方』プチ鹿島さんインタビュー 
紙の読者の持つ「前提」が通用しない

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紙とネットの「絶望的な温度差」

――ネットで新聞記事を読んだり、新聞記事への反応を追ったりすることはありますか。本書でも触れられている通り、ネット時代特有の「新聞の読まれ方」があるように感じます。本書の表現を借りれば、紙の読者とネットの読者の間に「絶望的な温度差」があるようですが。

鹿島 スポーツ紙と読者の関係って、理想的ですよね。 スポーツ紙には「大仰芸」や「美談」がつきものですが、紙の読者はそんな前提を知っているから、違和感を表明することはありません。
ただ、記事がネット配信された途端、送り手と受け手が共有していた「大仰さを楽しむ」関係が無視されてしまいます。
「稀勢の里バンザイ!日本人横綱バンザイ!」的なノリに代表されるように、スポーツ紙の論調は危なっかしいときもある。 だから、記事がネット配信されると「今まで頑張ったモンゴルの力士はどう思うの」という意見だって出てくる。
政治的な公正さを実現しよう、国籍や皮膚の色・性別をなくして平等にやろう、という時代の流れからすると、それは正しい意見です。ただ、スポーツ紙に関しては、 紙とネットで「絶望的な温度差」を感じます。紙の読者が知っている前提や文脈を、ネットの読者は知らない場合が多い。 紙の読者とネットの読者のどっちが良い悪いではなく「温度差」がある。

――最近、スポーツ紙もネット配信限定の記事を出すようになりました。

鹿島 同じ記事でも、見出しを変えるときがありますよね。つい先日も、モンゴル出身の大関・照ノ富士への野次に関する記事で、スポーツ報知が見出しを分けていました。
僕も、報知を紙で読んだときは「こういうひどい野次があったのか」と知って引いたのですが、紙面の見出しにはなかったのに、野次の内容そのものを見出しに取ったネット記事は「刺激」を優先してしまったと思いました。この時代、もうあれはいけません(編集部注:報知の3月26日配信記事の見出しは「照ノ富士、変化で王手も大ブーイング! 『モンゴル帰れ』」だった。 その後「モンゴル帰れ」は削除)。
ただ、16年に起こった関東第一高校(当時)・オコエ瑠偉選手の「チーター騒動」は考えさせられました。スポーツ紙の報道や高校野球のトレンドを知る人なら、チームメイトに(オコエ選手が)チーターと呼ばれているという前提は把握していたはず。
そんな状況の中、スポーツ紙は大仰に「(オコエ選手が)サバンナを走る」と書きました。前提を知らないネットユーザーが「差別じゃないか」と憤るのもわかる。その一方、「チーターというあだ名」を知る人が読めばいつもの「大仰芸」だという解釈にもなる。 紙の読者とネットの読者の温度差をみた一件でした。
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