漫才やドラマ、バラエティなどで活躍した女優の京唄子(きょう・うたこ=本名・鵜島ウタ子)さんが2017年4月6日、亡くなった。89歳だった。
昭和30年代に漫才コンビ「唄子・啓助」で人気になった。大きな口がトレードマークで、本音トークと、あっけらかんな笑い声で親しまれた。長年「渡る世間は鬼ばかり」のレギュラーだった。
「唄子・啓助のおもろい夫婦」
京都出身。もともとは舞台女優で、戦後間もないころからいくつかの劇団に所属した。56年、鳳啓助(1923~94年)さんと「唄子・啓助」の漫才コンビを結成、絶妙な掛け合いで注目されるようになった。いったん鳳さんと結婚したが、のち離婚した。「唄子・啓助のおもろい夫婦」(69~85年)などで達者な司会役もこなした。
テレビドラマでは60年代の「てなもんや三度笠」のほか、「鮎のうた」などNHKの連続テレビ小説でも再三登場した。舞台出身ということもあり、「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」など時代劇でもひっぱりだこだった。
93年スタートの「渡る世間」では、本間病院の本間常子役で、重要な役どころをこなした。
2008年、関西の演芸人を称える「上方演芸の殿堂入り」した。09年に腰の病気が悪化、その後は一線から退いた状態になっていた。
訃報に対し、ネット上では
「『渡る世間は鬼ばかり』では、強烈なおばあさん役でしたね」
「唄子師匠は関西だけかな?よく心斎橋で見たよ?」
「ええっ?!京唄子師匠亡くなっただと?!」
「関西の星がまた1つ...ご冥福をお祈りいたします」
などと、惜しむ声が上がっていた。