国内では「WELQ」に端を発する「まとめサイト問題」の嵐が吹き荒れ、米国では「フェイクニュース」が、ドナルド・トランプ大統領の誕生に貢献する。2016年は、ネットメディアの「あり方」が改めて問われた時期だった。スマートフォン時代への対応を迫られるプラットフォーム、急成長するニュースアプリ、その間でもがく新聞やニュースサイト―。それぞれの課題に直面する「ネットメディア」の明日は果たしてどうなるのか。
こうした現状を生んだ背景、そしてはらむ危険性を掘り下げた『ネットメディア覇権戦争 偽ニュースはなぜ生まれたか』(光文社新書)の著者で、ジャーナリスト・法政大学社会学部メディア社会学科准教授の藤代裕之さんに話を聞いた。
読者の認識は「Yahoo!で見た」「SNSで見た」
――『ネットメディア覇権戦争』の執筆に当たっての問題意識について、改めてお聞かせください。
藤代 きっかけは、「ネットのニュースや情報には誰が責任を持つのか」という問題意識です。
テレビや新聞・雑誌だと、ニュースが届く仕組みを「テレビ局があって、新聞社があって、記者が取材に来て......」と説明できる。マスメディアのことを知らなくても、ある程度はわかるわけですよね。ところが、みんな日々、スマホで膨大な数のニュースと接触していますが、「それはどこから来て、誰が作って、どうやって届けられているのか」と聞くと、途端に説明できなくなる。
ブラックボックスを抱えたネットメディアが「真実」を伝えていると称賛され、作り手や届いた過程が分かっているテレビや新聞などの既存メディアは「マスゴミ」と批判される。そういう状況はおかしいよね、みなさん大丈夫ですか?というのが問題意識のベースです。
――本書の中では、食品の「産地表示」にたとえてこの問題を指摘されています。
藤代 ニュースは「脳の食べ物」みたいなものです。食べ物だとみんな、「どこで買うか」「誰が作っているか」を気にするじゃないですか。スーパーで買うか、デパ地下で買うか、フリマで買うか。たとえばフリマなら「安いから腐っているかもしれないな」「ヤバそうなものもあるかもしれない」とある程度警戒するし、農協の産直とかなら「新鮮だろうな」「安心だな」とも感じる。ところが脳の食べ物であるニュースは、無頓着にパクパク食べているわけですよ。
スマホが普及してプラットフォームが巨大化し、適当なものを脳みそに供給する状態が、社会的に議論されないまま「当たり前のこと」として受容されている。そこに「マズイですよね」と警告する意図がありました。
――産地表示、という意味では、プラットフォーム上でも一応、配信元のメディアの媒体名が載ってはいますが......。
藤代 読者の認識は、「Yahoo!で見た」「フェイスブックで見た」「ツイッターで見た」です。「J-CASTニュースを見た」じゃない。リテラシーの高い一部の読者は「またJカスか」ということもあるのでしょうが(笑)。これはネットメディアに限らず、朝日や毎日や読売もそうです。
にもかかわらず、「載せているだけ」と言い張るプラットフォームには、読者とのズレがあります。スーパーだろうとなんだろうと、自分の売った商品で購入者が腹を壊したら、きちんと回収します。「(売っているだけだから)責任は取りません」と言われても困りますよね。ですがプラットフォームは、編集者の手なりアルゴリズムなりで載せる情報を「操作」しているのに、「自分たちはプラットフォームです」という「呪文」によって責任を回避してきました。
ただ、執筆中に起きたWELQ問題をきっかけに、だいぶ流れも変わりました。「プラットフォームと言えば何でも良いわけではない」という認識が社会的なコンセンサスになりつつある。僕がこの本で書きたかったことが、だいぶアジェンダとして議論されるようになったかな、と感じます。
Yahoo!は「王者だからこそやるべきことがあるはず」
――メディアなのかプラットフォームなのか、立ち位置が「あいまい」だと評するなど、本書ではYahoo!に対する論調が特に厳しいように思います。これはどうしてでしょうか。
藤代 読者からも、そのような意見をいただくことがあります。ですが、決してYahoo!にだけ厳しいわけではありません。「批判的に見る」「検証する」のがジャーナリズムの仕事なので、課題を挙げて、考えを聞くというのは当然のことです。たとえばSmartNewsなどについても、僕はこの本の中でいろんな問題を厳しく指摘しています。
ほかのメディアは全部回答を返してくれたんですが、Yahoo!は(宮坂学社長に取材を申し込んだものの)答えなかった。
それに加え、Yahoo!自身が、言っていることとやっていること、あるいは社会からの「イメージ」とやってることが全然違う。
今は、奥村(倫弘氏。Yahoo!ニュースの責任者を長らく務めた。現ワードリーフ社社長)時代の「ヤフトピ」ブランドの資産を急激に食いつぶしている状態だと僕は思うんですね。スマホでSmartNewsなどに追い上げられているのが、彼らの焦りにつながっていると感じます。
あとはやっぱり、Yahoo!がPC時代の「キング(王者)」だったということ。「Yahoo!で見れば安心」と言われるブランドを確立し、約10年間の黄金時代を築いた。「王者だからこそやるべきことがあるはず」と。
――期待するからこその厳しさ、ということでしょうか。
藤代 ぶっちゃけて言えば、SmartNewsやNewsPicksなんて、まだ生まれたての子どもみたいなものです。Yahoo!と彼らを同一視することはできないですよね。
Yahoo!はPC時代の王者であり、かつ宮坂社長も(Yahoo!個人からピューリッツァー賞を受賞する記事が出ることを目指したい、と発言するなど)メディアに注力すると宣言している。だからこそ、「きちんと本気でやる気があるんですか?」と問いたいんです。
「プラットフォームだから」はどこまで認められる
――ただ一方で、「プロバイダー責任制限法」(プロ責法)という法律もあります(掲示板などへの書き込みに関して、サービス事業者側の賠償責任を制限する法律。問題のある投稿などがあった場合は、「事後対応」が基本となる)。Yahoo!はプラットフォームなのでプロ責法で守られている、とも考えられます。
藤代 「プラットフォーム」という言葉が曖昧じゃないですか。法の趣旨から考えると、「プラットフォーム=プロ責に対応している」わけではないと思うんです。
プロ責法は不特定多数が利用するウェブサービスについて権利侵害があった際のプロセスを明確にするとともに、プロバイダーの責任が過度に追及されないようにしている。そういう意味での「制限」なんです。ただ、Yahoo!はどこがプロ責で守られる部分で、どこがメディア部分なのか、混在していてわかりにくいですね。
ニュース部門やYahoo!個人は、契約して記事の配信を受けているのでメディアで、プロ責の範疇(はんちゅう)外。ニュースの下部に表示されるコメントは誰でも書き込める「プロ責」対応部分だとしても、読者からは非常にわかりにくい。
Yahoo!に限りませんが、プロ責はいつの間にか、プラットフォームを自称するメディア化したネット企業を守るための拡大解釈に利用され、責任逃れに使われてしまった。ただ、DeNAの問題を調査した第三者委員会でも、メディアとプラットフォームの混同については厳しく指摘されています。プロ責は表現の自由にも配慮していますが、ネット企業による都合が良い解釈が続くと、規制を招きかねません。
――ただ、自分が見ているのはプラットフォームかメディアか、読者は意識しません。企業の側もそんな状況で、自分たちをプラットフォームかメディアか考えないまま今に至っているのでは。
藤代 ありえますね。でも、先程の食べ物の話に戻ると、路上販売やフリマと、スーパーとデパートとでだいぶ違うじゃないですか。読者はニュースを見ているとき、掲載場所が「フリマ」なのか、「スーパー」なのか、「デパート」なのか分かった方がいいと思うんですよ。そうしないと、読者もリテラシーを発揮できない。情報やニュースに責任を持ってくれる場所(サイト・サービス)なのか、それとも自己責任の場所なのか分かれば、あとは自分で判断できるじゃないですか。
ネット企業が実態はフリマなのに、デパートのように読者に見せているのが問題なんです。メディアとプラットフォームを混同し、プロ責の拡大解釈が続くようであれば、本では書いてないですが、プロ責そのもののあり方についても議論されていく必要があるのかもしれないですね。(後編に続く)
藤代裕之氏 プロフィール
ふじしろ・ひろゆき 1973年徳島県生まれ。広島大学文学部哲学科卒業、立教大学21世紀社会デザイン研究科前期修了。徳島新聞記者を経て、NTTレゾナントでニュースデスクや新サービス立ち上げを担当。現在、法政大学社会学部メディア社会学科准教授。専門は、ジャーナリズム論、ソーシャルメディア論。近著に『ネットメディア覇権戦争 偽ニュースはなぜ生まれたか』(光文社新書)。