カツオの水揚げ量で20年連続日本一の宮城県気仙沼市は、サメやメカジキ漁でも知られる魚の街だ。東日本大震災で大打撃を受けた漁業関連施設は、6年の歳月を経て再建が進んだ。
一方で、近年は日本人の「魚食離れ」が指摘されている。苦戦が予想される未来に備えて、地元の水産加工会社が団結した。視線の先にあるのは、海外だ。
「個人プレーヤー」が組合結成
気仙沼市の鹿折(ししおり)地区は、魚市場から2.5キロの距離にある。2011年3月11日、未曽有の津波と大火災に襲われ壊滅的な被害を受けた。震災後、復興工事が行われる中で港に近い一部区域は水産加工業集積地として整備され、今日では新築の工場が並んでいる。
その中に、気仙沼鹿折加工協同組合がある。「個人プレーヤー」の色合いが強かった水産加工業者が震災を機にまとまり、大手商社や農林中央金庫が支援して2012年8月に設立された。目的は、生き残りのための「コストダウン」と「販売戦略」だ。コスト面では、農林中金からの低利融資約20億円を活用して共同利用の大型冷蔵庫と海水処理施設を設置した。おかげで個々の会社は、独自にこうした高額の設備を購入せずに済む。販売戦略面では、小規模業者の場合、単独だと商品の売り込みが困難だった百貨店のような大手に対して、組合としてまとまったことで交渉のテーブルに着いてもらえるようになった。
ところが、厳しい現実が立ちはだかる。実は震災前から、日本国内の魚介類の消費が右肩下がりで減っているのだ。
厚生労働省の「国民健康・栄養調査報告」2015年版に掲載されている、1人1日当たりの食品摂取量の平均値を見ると、1975年は魚介類が94.0グラム、肉類が64.2グラムだった。以降魚介類は減り続ける半面、肉類は増える一方だ。2006年は魚介類80.2グラム、肉類80.4グラムと逆転、直近の2015年は魚介類69.0グラム、肉類91.0グラムまで差が開いた。過去40年間で、魚食離れは一向に止まらない。