高校野球の公式試合が、0対91のスコアで終わった。5回コールドだった。
目を疑うような大差だが、敗れたチームの監督はツイッターで胸を張った。そこには、この野球部の歴史があった。
62被安打17失策
2017年3月27日に行われた第64回春季東海地区高校野球・三重県大会の南勢地区1次予選、私立英心(えいしん)高校と県立宇治山田商業高校の試合は、英心が0対91で敗れた。英心は後攻の宇治山田商に、1回に8点、2回に31点、3回に41点、4回に11点を失い、5回ウラを待たずにコールド負けした。62被安打17失策だった。
この結果を27日にツイッターで伝えたのは、敗れた英心の豊田毅監督(31)だった。過去に例のないほどの大敗にもかかわらず「選手はダメじゃないです」と投稿した。
この豊田監督のツイートに
「あなたのチームは日本で一番応援したくなる高校野球部だ」
「この悔しさを糧に夏に向けて!!これからも応援させていただきます」
「お疲れ様でした!ほんとこれからのみなさんの成長期待しています」
「必ず喜べる日はすぐ近くにあると信じています」
といった反応が寄せられた。
豊田監督は15年7月にツイッターを開始して以来、野球部の練習や試合の模様を時には写真・動画つきで伝え続けている。しかし、発信する内容は競技そのものばかりではない。部員の卒業後の進路が決まるたびに我が子のように喜んで報告し、16年11月23日には「英心高校野球部に入って欲しい」人物として「野球と人生、どっちも真面目に考える人」など5項目を紹介した。16年12月には「高校の友人は一生の友人になります。なぜなら、自分の意思で選んだ場所には同じ志を持った人が集まりやすいからです」と述べるなど、野球を通じて生徒に何かを学んでもらおうという考えを投稿し続けている。
豊田監督は3月28日、J-CASTニュースの取材に応じ、野球部の歴史を明かした。2008年に現在の校名に変わった英心高校は、もともと不登校の子どもを多く受け入れる学校で、その中には休み時間にキャッチボールをする生徒もいた。そこに野球経験のある豊田監督が、週1回程度のクラブ活動でみんなが楽しめるようにと、野球部を2015年5月に創設した。男子5人、マネジャーの女子1人から始まった。少しずつ野球に興味のある生徒が入部し、10人まで増え、日本高等学校野球連盟(高野連)への登録申請が通り、対外試合を組み始めた。
バット1本、ボール10球、ヘルメットを相手から借りるというチームで挑んだ7月の最初の試合は、0対26で敗れた。投手の生徒は「打たれたくない」と嘆き続け、豊田監督は「この日を機に『エースの自覚』が芽生えた気がします。他の部員も高校野球の厳しさを知り、負けん気が出て野球にのめり込んでいきました」と振り返った。
「最後まで投げさせてください」に相手チームも拍手
それから約1年半後、0対91で敗れた今回の試合だが、豊田監督は「そりゃ悔しいですよ。悔しくて悔しくてたまらない。何人も泣きました」としながら、「でも、光栄だなとも思いました」という。
「今までは、ピッチャーがストライクに入らず四球が続く試合ばかりでした。すると、相手チームは20~30点も差がつくと、試合を終わらせようとバントして自らアウトになるんです。でも今回の宇治山田商は県屈指の強豪ですが、フルメンバーで最後の最後まで攻撃の手を緩めませんでした。うちのピッチャーもストライクを入れられるようになりました。これは『終わらせてもらっていた試合』と違い、勝負の中ではっきりとついた91点差だったと思っています。初めてチームとして認められたという感覚でした」
試合中に起きたこんなシーンも明かした。4回の英心の守備、ピッチャー返しの打球が投手の腹に直撃し、立ち上がれなくなった。豊田監督が「交代だな」と告げると、「最後まで投げさせてください」と食い下がった。監督が折れて続投させると、宇治山田商のベンチが立ち上がり、マウンドに再度立ったエースに拍手を送ったという。4回の守備を終えてベンチに戻ると、「投げさせてくれてありがとうございました」と豊田監督に礼を述べた。この投手は中学まで不登校だった。
豊田監督は「点差がついても全員が最後まで声を出し続けていました。30点取られても『1点ずつ取り返そう』と言い続け、誰も諦めませんでした」と話す。翌日の練習には部員全員が参加した。
「不登校だった子が、ただ学校に来るようになるだけではダメだと思っています」とした上で「私は野球を通じて心がしっかりと育ってほしい。自分の将来に前向きになり、人間性が形成されていってほしいです。うちの高校の生徒は体力的にもちょっとひ弱なので、野球で受験勉強のための持久力や忍耐力もつくと考えています」と話している。