まさにドラマチック幕切れ。大相撲春場所の新横綱・稀勢の里は故障にめげず逆転の優勝をやってのけた。
大相撲が日本人に戻ってきた、という感じである。
最後の二番は驚きの結果
千秋楽(2017年3月26日)は異常な雰囲気に包まれていた。左肩を痛めた12勝2敗の稀勢の里が13勝1敗の大関・照ノ富士を破って優勝決定戦に持ち込み、そして勝った。
「奇跡の勝利」
一斉にそんな声が上がった。稀勢の里は13日目に横綱・日馬富士に負けたとき土俵下に転落した際に痛めて病院に行った。翌日の朝、出場を決めたが、横綱・鶴竜に完敗。そんな状況だっただけに、最後の二番は驚きの結果となった。
「男、稀勢の里」
親方衆も感動の言葉を発した。
長い間、モンゴル勢など外国人力士の活躍が目立った。とりわけ最高位の横綱はモンゴル勢の独占状態だった。
日本人横綱の誕生が待たれ、その期待の元に稀勢の里がやっとの思いで生まれた。当然のごとく春場所は稀勢の里の優勝が最大の焦点だった。ケガで夢が絶たれたかとガックリしたファンは多かった。それを跳ね返しての賜杯獲得である。
NHKはじめ、その日のニュースのトップで取り上げた。日本中が興奮したというわけである。
「長く語り伝えられる相撲」
「長く語り伝えられる相撲だろう」
こう言ったのは八角理事長である。相撲協会がいかに稀勢の里に期待していたかが分かる。
もし、照ノ富士が優勝していたら、またモンゴル勢に支配されるきっかけになったかもしれない。その意味でも稀勢の里の優勝は、大相撲が日本人の手に戻って来たという感じがする。
「苦しかった分、うれしかった。泣くまいと思っていたけど...」
稀勢の里の顔が涙で濡れた。終わってみれば、稀勢の里の稀勢の里による稀勢の里の場所だった、といえるだろう。
敗れた照ノ富士にとっては痛すぎる連敗だった。この場所はカド番で迎え、それが優勝争いに加わり、14日目を終わった時点ではトップに立った。勝っていれば来場所は横綱挑戦となったはずである。
5月の夏場所は国技館。稀勢の里は東京で初めて雲竜型の土俵入りを見せる。連覇という土産を綱に締めて。
(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)