「長く語り伝えられる相撲」
「長く語り伝えられる相撲だろう」
こう言ったのは八角理事長である。相撲協会がいかに稀勢の里に期待していたかが分かる。
もし、照ノ富士が優勝していたら、またモンゴル勢に支配されるきっかけになったかもしれない。その意味でも稀勢の里の優勝は、大相撲が日本人の手に戻って来たという感じがする。
「苦しかった分、うれしかった。泣くまいと思っていたけど...」
稀勢の里の顔が涙で濡れた。終わってみれば、稀勢の里の稀勢の里による稀勢の里の場所だった、といえるだろう。
敗れた照ノ富士にとっては痛すぎる連敗だった。この場所はカド番で迎え、それが優勝争いに加わり、14日目を終わった時点ではトップに立った。勝っていれば来場所は横綱挑戦となったはずである。
5月の夏場所は国技館。稀勢の里は東京で初めて雲竜型の土俵入りを見せる。連覇という土産を綱に締めて。
(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)