ニューヨーク・マンハッタンのセント・パトリックス・デー・パレード(2017年3月17日)は、五番街を44丁目から北に進んでいく。56丁目と57丁目の間にトランプタワーがある。今もそこには、ファーストレディと息子が住んでいる。
その前をパレードが通るのは、トランプ大統領就任以来、初めてのことだ。テロや反トランプ派の抗議などが懸念されたため、トランプタワーの前の歩道で立ち止まってパレードを見ることはできなかったが、パレードのルート変更はなかった。
民主党から共和党に転じた理由
トランプ氏の大統領就任が決まって以来、トランプタワーの前にはいつも機関銃を手に警察官が4、5人立っているが、その日は増員し、厳戒態勢が取られていた。
トランプタワーのそばで、「神よ、アメリカを祝福したまえ! 自由と民主主義を祝福したまえ!」とパレードに向かって大声でこう叫び続けていた白人男性は、トランプ支持者なのだろうか。私は声をかけてみた。
「この国が、どんな人にも機会を与える国であり続けてほしい。でも、移民には、合法的に入ってきてほしい。でなければ、どうにも収拾がつかなくなるだろ。僕はトランプに投票しなかった。でも、彼に投票した人たちがいる。それを受け入れるよ」
1960年代頃まで、アイルランド系アメリカ人の多くは民主党びいきだった。フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策を支持し、同胞のジョン・F・ケネディ大統領を自分たちの誇りとしてきた。しかし、その後、徐々に共和党支持に転じていった人たちも少なくない。
反人工妊娠中絶、反同姓婚という、アイルランド系に信者の多いカトリック教会のスタンスが、共和党の思想に近いことも、その理由のひとつだ。ニューヨークでは2年前から正式に認められるようになったが、同性愛者団体が「ゲイプライド」の旗を掲げてセント・パトリックス・デー・パレードに参加できない街は少なくない。
トランプ支持者については、その事実を隠したがる傾向があるため、正確にはわからないが、アイルランド系の世論調査団体によると、ヒラリー・クリントン氏に投票したアイルランド系アメリカ人は、半分にも満たない。
「ここにやってきて、アメリカ人になったのです」
パレードの前日、アイルランドのエンダ・ケニー首相がトランプ大統領を公式訪問し、アイルランドの守護聖人・聖パトリックの象徴、シャムロック(葉が3枚に分かれたクローバーなどの草で、アイルランドの国花)が盛られたボウルを、トランプ氏にプレゼントした。これは1952年以来、行われている恒例の儀式だ。
ケニー首相は会見で、「聖パトリックも移民でした。地球上の多くの人にとって、彼は移民の象徴でもあり、守護者でもあるのです」と語った。
聖パトリックは海賊に捕らわれ、奴隷としてアイルランドへ売られた。のちに脱走して故郷のウエールズ(一説による)へ戻ったが、宣教のために再びアイルランドに渡ったといわれる。
ケニー首相は続けた。
「偉大な国アメリカに、アイルランド系移民があらゆる分野で貢献してきました。アイルランドは、自由、機会、安全、食べ物を奪われ、アメリカにやってきました。アメリカの保護、アメリカの思いやり、アメリカでのチャンスを信じました。そして、ここにやってきて、アメリカ人になったのです」
マンハッタンのパレードで、五番街を反対側に渡ると、三脚を立ててトランプタワーの方向にビデオを向け、撮影している男性がいた。パレードの主催団体に雇われているという。
私が尋ねもしないのに、彼が言った。
「ここで撮影しているのには、わけがある。この前で何か政治的な行動を取るやつがいないか、チェックしているんだ」
「政治的な行動を取る人がいたら、どうなるんですか」と私が尋ねた。
「その人は来年、パレードに参加できないってことかな。ま、決めるのは、僕じゃないけどね」
「政治的な行動って、例えば?」
「例えば、あれだ」
ちょうど、行進している男性が、トランプタワーに向かって右手の中指を立てていた。
「ま、あれは問題になるほどじゃないな」
彼は早朝からそこに立っていたが、とくに政治的な行動は起きなかったようだ。
ふと目をやると、同性愛者の団体がトランプタワーを背景に皆で横断幕を持ち、集合写真を撮っている。
「トランプタワーに向かって、敬礼していた集団がいたよ。彼らはトランプが好きなんだろうな」と男性が笑う。
昨年のセント・パトリックス・デー・パレードで、中年女性が「TRUMP」と書かれたボードを両手で高々と掲げて、立っていたことを思い出す。民主党びいきの多いこの街で、ひとり堂々と。政治的なメッセージを訴える人をほかに見かけなかったので、印象的だった。
あの人が今、ここにいたら、満面の笑みを称えていたに違いない。
行進する人たちの思いはさまざまだが、大きな混乱はなく、無事にパレードは終わった。
五番街から人の波が消えていく。私はすぐそばにあるブランドショップに入ってみた。
客は誰もいない。パレードは午前11時に始まった。時計を見ると、すでに午後5時を回っていた。
「パレードがたった今、終わったわ」と私が伝えると、暇そうだった女店員が、やっと商売になると言わんばかりに、嬉しそうに笑って答えた。
「Welcome to the real world.(現実の世界へようこそ)」
(随時掲載)
++ 岡田光世プロフィール
岡田光世(おかだ みつよ) 作家・エッセイスト
東京都出身。青山学院大卒、ニューヨーク大学大学院修士号取得。日本の大手新聞社
のアメリカ現地紙記者を経て、日本と米国を行き来しながら、米国市民の日常と哀歓
を描いている。文春文庫のエッセイ「ニューヨークの魔法」シリーズは2007年の第1
弾から累計35万部を超え、2016年12月にシリーズ第7弾となる「ニューヨークの魔法
の約束」を出版した。著書はほかに「アメリカの 家族」「ニューヨーク日本人教育
事情」(ともに岩波新書)などがある。