岡田光世「トランプのアメリカ」で暮らす人たち アイルランド系「移民」の歴史が語ること(前編)

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   記録的な大雪が降った翌々日(2017年3月17日)の午後、まだ雪に覆われたニューヨーク・マンハッタンのセントラルパークを西から東に横切っていると、バグパイプの音が近づいてくる。

   五番街に出ると、この日のために雪はきれいに清掃されていた。午前11時に始まったSt. Patrick's Day Parade(セント・パトリックス・デー・パレード)は、五番街を44丁目からセントラルパークの方に向かって、北へ79丁目まで行進する。アイルランドにキリスト教を広めた、同国の守護聖人・セント・パトリックの記念日(命日)だ。

  • 3月17日にNYマンハッタンで行われたセント・パトリックス・デー・パレード
    3月17日にNYマンハッタンで行われたセント・パトリックス・デー・パレード
  • 3月17日にNYマンハッタンで行われたセント・パトリックス・デー・パレード

待ち受けていた激しい差別

   愛国歌「America the Beautiful(アメリカ・ザ・ビューティフル)」を演奏するバンドが近づくと、緑のセーターにベレー帽姿の男性がそれに合わせて大声で歌い始めた。彼の両親は、アイルランドからの移民だという。

「子供の頃、パレードに参加していたよ。昔はもっと規模が大きくて、時間も長かったのさ。移民の数も多かったからね」

   ニューヨークのセント・パトリックス・デー・パレードは今も、世界で最も規模が大きい。現在のような形のパレードが始まったのも、アイルランドではなく、アイルランド系移民の多いニューヨークだった。

   1880年代のアイルランドのジャガイモ飢饉の時に、自分の先祖がニューヨークに渡った男性は、「アメリカは自分たちを大量に受け入れてくれたんだ」と熱く語る。 その前の産業革命期にもアイルランドからの移民はいたが、ジャガイモ飢饉で数百万人が命からがらカナダやアメリカに移った。渡航船は「棺桶船」と呼ばれ、想像を絶する環境だった。しかし、無事、アメリカの地を踏んだ彼らには、激しい差別が待ち受けていた。

   白人であってもアングロサクソン系プロテスタントでなく、当時のアメリカ人の多くの祖国であるイギリスの支配下にあったからだ。アイルランド人は「怠慢」「無知」「酒好き」などとレッテルを張られ、低賃金で劣悪な環境の、あるいは危険な仕事にしかありつけなかった。

   「No Irish need apply (アイルランド系はお断り) 」――。こんな言葉が、求人広告でよく使われていた。

   やがて、ニューヨーク市の移民の4人に1人がアイルランド系となり、市内のアイルランド系人口が故郷の首都ダブリンを超えた時期もあった。

   今、アメリカでは、10人に1人がアイルランド人の血を引くといわれる。ニューヨークの移民パレードのなかで、セント・パトリックス・デー・パレードは最大で、最もよく知られている。

   この日、五番街を次々に通り過ぎるパレード参加団体を、アイルランド系の見物客らが指さし、「あの高校生たちは、従弟が住む州から来たんだ」、「あの大学は、父親の母校だ。声援しなきゃ」「夫の兄弟も消防士なのよ」などと声をあげ、さまざまな形で連帯感を感じていることが伝わってきた。今のアイルランド系はアメリカ社会に完全に溶け込んでいるものの、そのアイデンティを強く持ち続けている人が多い。

   ニューヨークなど都市部の警察官、消防士には、今もアイルランド系が目立つ。パレードで制服姿の警察官や消防士が行進してくると、同胞たちは熱いまなざしで敬意を込めて、拍手と歓声を送る。

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