高さ12.5メートルの防潮堤でも心配
河野さんが最後に連れて行ってくれた場所は、かさ上げ工事中の、だだっぴろい土地だった。実はその一角にかつて、河野さんの生家があった。200年以上続く、老舗のしょうゆ店だ。蔵や製造工場は全壊し、河野さんの子どもの頃の思い出も、すべて失われてしまった。
今ではがれきの山が取り除かれて整地され、新たな街づくりに向けて歩んでいるように見える。だが河野さん自身は「かさ上げしても、空き地だらけになったら...」と不安だ。震災前は約2万4000人だった陸前高田市の人口は、2017年2月28日現在で1万9811人まで減少した。人が減れば街の活力は失われる。真新しい店ができても、買い手がいなければ地元の商店主たちには死活問題だ。
もう一つの心配の種が、高さ12.5メートルの「巨大防潮堤」の建設。河野さんは「あくまで個人的な意見ですが」と前置きしたうえで、「あれをつくったら、津波が来ても逃げない人が出てくるのではないでしょうか」と危惧する。
実は市内には、1960年のチリ地震津波を教訓に、高さ5.5メートルの防潮堤が築かれていた。だが東日本大震災では、想定をはるかに上回る津波が街を飲みこんだ。未確認だが、犠牲者の中には、この防潮堤の威力を過信して「大丈夫だろう」と避難しなかった人も含まれると河野さんは耳にした。何十年も経過すれば、津波の記憶は薄れていく。人の命を守るために防潮堤が建設されると分かってはいるが、また想定外の津波が襲ってきたら、同じ悲劇を繰り返さずに済むだろうか――。