岩手県陸前高田市は、東日本大震災の津波で壊滅的な打撃を受けた被災地のひとつだ。
震災から6年、市の中心部では復興工事が進み、多くのダンプカーが幹線道路をひっきりなしに行きかっていた。だが街の再生は、住民がいなくては実現しない。新たな家や建物が完成した後、以前のようなにぎわいを取り戻せるか。
津波で流れ着いた木が建物の中に残る
「中に何が見えます?」
陸前高田観光ガイドを務める河野正義さん(60)に促され、「タピック45」(道の駅高田松原)の壊れた建物の中を記者がのぞき込むと、息をのんだ。津波でメチャメチャに破壊され尽くした館内には、不思議なことに太い木が1本見えた。最初から生えていたわけではない。津波で流れ着き、その威力で内部に押し込められてしまったのだ。
河野さん自身も被災者のひとり。住まいのあった市東部の小友町は、リアス式海岸特有の海に突き出した地形になっている。そのため、震災による津波は多方向から押し寄せ、巨大な波同士がぶつかったという話もあったほどだ。
「私は、足元まであと1メートルぐらいのところにまで真っ黒い渦が近づいてきたのを記憶しています」。
家にいた妻の両親を連れて、高台に避難した。家は津波で全壊した。いったん市内の親戚の家に身を寄せ、その後は「みなし仮設」として隣接する大船渡市の住宅で2年を過ごした。現在は小友町で再建した自宅で暮らしている。
震災の記憶を多くの人に伝える「語り部ツアー」のガイドを始めたのは、2012年10月からだ。以後、国内・海外含め2万2000人以上を案内してきた。
記者が最初に案内された場所が、災害公営住宅「下和野団地」だ。ここから、津波で大きな被害を受けた市中心部が見渡せる。近辺では、地面から最大10メートルの高さまでかさ上げする工事が進行中だ。この後、先述の「タピック45」に加えて、津波が建物の5階、高さ14.5メートルまで到達した「下宿(しもじゅく)定住促進住宅」や、全員が避難したものの川からあふれ出た大量の水で被災した「気仙中学校」といった「震災遺構」を見学した。