愛国歌が流れ、罵声が消えた
と、どこからともなく楽器を手に人々が現れ、米国の愛国歌「アメリカ・ザ・ビューティフル」を演奏し出した。みるみるうちに広場を人々が埋め尽くし、声を合わせて穏やかに歌い始めた。
罵声は消えた。ともに静かに歌う姿は、感動的だった。音楽は人の心をひとつにする。私は胸を揺さぶられ、思わず、辺りを見渡した。反トランプ派も一緒に歌っているのだろうか。
そこには「No!」と書かれたプラカードが林立し、反トランプ派の姿ばかりのように見えた。が、たった一人、後ろのほうで、「壁を作れ!」と書かれたサインを手にしている男性がいた。彼が歌っているか、私のいる場所からはわからなかった。
目の前の人が演奏していたスーザフォーン(大きな金管楽器)の朝顔型の開口部には、THE 3 MILLION MAJORITY MARCHING BAND(得票差300万のマーチングバンド)と書かれたカードが、貼られていた。
大統領選でクリントン氏がトランプ氏を上回った得票数だ。
皆が歌い終わると、隣に立っていた反トランプ派の男性が、私に言った。
「Beautiful, right?(素晴らしいね?)」
その後、セントラルパーク沿いのデモ行進に参加するために、人々が移動し始めた。
途中、道端で、トランプ派の青年と反トランプ派の中年女性が、意見を交わしている場面に出くわした。
「ヒラリーはウォールストリートと、癒着していたじゃないか」
「じゃあ、ヒラリーと癒着していたゴールドマンサックスの出身者で、トランプ政権が固められて、あなたはハッピーだってことなのね? ヒラリーのウォールストリートとの癒着を激しく批判するのに、トランプなら目をつぶるわけ? 論理がおかしいのが、わからない?」
「ヒラリーはトランプと違って、莫大な選挙資金を受け取っただろ」
「もうひとつ、聞きたいんだけど、報道の自由といい、宗教の自由といい、アメリカを偉大に、と言いながら、アメリカを偉大にしてきたものを、トランプはことごとく踏みにじっていると思わないの?」
「そもそも、メインストリームのメディアは、人々の敵だからさ」
別のトランプ派の青年が、間を取り持つ。
「アメリカの素晴らしいところは、意見が違ってもこうして自由に対話できることだな」
「そうだ、その点については、同意するね」と先ほどのトランプ派の青年が言う。
すると、反トランプ派の女性が、「そうね。勇気を持って、私たちと話してくれてありがとう。素晴らしいことだわ」とにこやかに答え、彼らと別れた。
その女性は彼に背を向けると、私の耳元でささやいた。
「あの人と話してみたけど、もう十分。時間の無駄だったわ。だって、彼、どうしようもないやつ(idiot)だもの」
(随時掲載)
++ 岡田光世プロフィール
岡田光世(おかだ みつよ) 作家・エッセイスト
東京都出身。青山学院大卒、ニューヨーク大学大学院修士号取得。日本の大手新聞社
のアメリカ現地紙記者を経て、日本と米国を行き来しながら、米国市民の日常と哀歓
を描いている。文春文庫のエッセイ「ニューヨークの魔法」シリーズは2007年の第1
弾から累計35万部を超え、2016年12月にシリーズ第7弾となる「ニューヨークの魔法
の約束」を出版した。著書はほかに「アメリカの 家族」「ニューヨーク日本人教育
事情」(ともに岩波新書)などがある。