「あなたがいたから日本にロックの朝が来た」 ムッシュかまやつさん死去に追悼の声

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   「我が良き友よ」などのヒットで知られ、俳優としても活躍したミュージシャンのムッシュかまやつ(本名釜萢弘=かまやつ・ひろし)さんが2017年3月1日、都内の病院で死去した。78歳だった。

   16年5月に肝臓がんが見つかり、9月に公表。闘病中だった。

  • 2006年のアルバム「スタジオ・ムッシュ」(画像はAmazonから)
    2006年のアルバム「スタジオ・ムッシュ」(画像はAmazonから)
  • 2006年のアルバム「スタジオ・ムッシュ」(画像はAmazonから)

「あの時君は若かった」

   1939年、ジャズシンガーのティーブ釜萢さんの長男として東京で生まれた。幼いころから米国音楽に親しみ、青山学院高等部時代に学生バンドを結成。57年にプロデビューした。

   60年代に入って、田辺昭知らのザ・スパイダースのメンバーとなり、かまやつさんが作曲した「フリフリ」「バン・バン・バン」「あの時君は若かった」などがヒット。メンバーの堺正章さんや井上順さんらとグループサウンズブームを盛り上げた。

   グループ解散後はソロ活動に入り、75年、吉田拓郎さん作詞作曲した「我が良き友よ」を歌って大ヒットした。俳優としてテレビドラマ「時間ですよ」などに出演、特異なヘアスタイルでお茶の間でも親しまれた。

   がん公表後も昨年末には、堺正章さんのライブに飛び入りで参加するなど元気なところを見せていた。

   1950年代末の日劇ウエスタンカーニバルにも参加していたグループサウンズ世代のリーダー格。森山良子さんが従妹にあたる音楽一家で、六本木、青山など都会の洗練されたカルチャーに若いころから親しんだ。多数のミュージシャンに楽曲の提供もしており、「ムッシュ」の愛称で敬愛されていた。

「ショックだ!!」「巨星墜つ」

   ツイッター上では音楽界を中心に追悼の言葉が多数寄せられている。音楽プロデューサーの亀田誠治さん(52)は

「R.I.P ムッシュかまやつさん。いつも優しくてあったかくて明るくて、太陽みたいなムッシュさん。これからも空の上から、心の奥から、ずっと僕らを照らしてください。ありがとうムッシュさん」

と偲んだ。ミュージシャンのダイアモンド☆ユカイさん(54)は

「ショックだ!!あなたがいたから日本にロックの朝が来たんだ。大好きなミュージシャンの大先輩、御冥福を御祈りします」

と衝撃を隠さない。「氣志團」の綾小路翔さん(37)も

「巨星墜つ。ムッシュと最後に直接お逢いしたのはもう3年も前になるだろうか。TAKUROさんが僕の誕生日祝いで予約して下さったレストランで偶然ばったり。『ムッシュから...』と、ワインのボトルがテーブルにさらりと運ばれて来た時、その粋さに痺れたものでした。永遠の憧れよ、永遠に。合掌」

と振り返った。

   一般のユーザーからも続々とコメントが投稿されている。

「ムッシュはスポンジみたいな人だったな。 GSから日本のロックの黎明期、吉田拓郎らとの活動とどんな音楽も分け隔てなく取り込んで来た。 誰も非難する事なく、だから誰からも好かれたんだろうね。 ただ笑顔で飄々と風のように生きた
「また一人、GS(グループサウンズ)ブームを率いた方が亡くなられてしまった... また元気に『バンバンバン』を踊ってほしかったです」
「日本のロックの先駆者が亡くなった」
「歌ってる時はうらやましいくらいホント楽しそうだったな」
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