船村徹さん死去、84歳 「王将」「風雪ながれ旅」など5000曲

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   戦後の歌謡界を代表する作曲家で、文化勲章も受賞した作曲家の船村徹(ふなむら・とおる、本名福田博郎=ひろお)さんが、2017年2月16日に死去したことが17日、分かった。84歳だった。

   村田英雄さんの「王将」や北島三郎さんの「風雪ながれ旅」など5000曲以上を手がけ、日本作曲家協会最高顧問。横綱審議委員会委員なども務めた。

  • 日本コロムビアのプロフィールページより
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作曲家として2人目の文化勲章

   1932年、栃木県生まれ。東洋音楽学校(現・東京音楽大学)ピアノ科卒。戦後の歌謡曲、演歌系をリードした作曲家の中では珍しく本格的な音楽教育を受けていた。バンド・リーダーのほか、流しの歌手なども経験した後1953年、作曲家デビュー。55年には早くも春日八郎さんの「別れの一本杉」の大ヒットを飛ばし、61年には「王将」がミリオンセラーに。

   そのほかにも、「矢切の渡し」(細川たかし他)、「東京だよおっ母さん」(島倉千代子)、「哀愁波止場」「ひばりの佐渡情話」(美空ひばり)など多数のヒット曲を提供した。

   93年、日本作曲家協会理事長に就任し、97年に吉田正の後を受けて第4代会長に。2005年に遠藤実へバトンタッチするまで務めた。

   16年5月に心臓を手術、自宅療養をしていたが、秋には作曲家として2人目の文化勲章を受賞したばかりだった。

   船村さんの訃報を受け、ツイッターでは、

「ついこの間文化勲章受けたばかりだったのに」
「ご冥福をお祈りいたします。昭和の名曲の立役者でしたね」
「船村徹氏が亡くなったそうで。。。俺の小学校の校歌の作曲って船村徹氏なんですよね。ご冥福をお祈りいたします」

と哀悼の声が相次いでいる。

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